らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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岩邑城④  

◆織田家の血統に飲みこまれた秋山虎繁の悲劇◆

美濃遠山氏の最後当主である景任(かげとう)は、武田信玄と織田信長の勢力の狭間で揺れ動いていた。

信長は、自分の叔母であるおつやの方を景任と縁組させて一族に組み入れることで、信玄の美濃侵入に備えた。

元亀元年(1570)には武田軍の猛攻を受けるも信長の支援を受けこれを退ける。
翌年、遠山景任が病没すると後継ぎに信長の五男で当時六歳の「坊丸」(のちの勝長)を養子として迎え入れ、おつやの方は後見人として遠山家を仕切ったという。

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本丸と二の丸の間にある埋門(うづみもん)。敵の侵入時には門櫓の上から石や土砂を落として通行不能にする。

翌年、信玄の西上作戦において秋山虎繁(信友)は岩村城の攻略を命じられ攻撃するが、堅城の岩村城を落とす事が出来ないでいた。

信長は浅井長政の裏切りに遭い四面楚歌の状態であったが、何とか後詰めに出した織田信広・河尻秀隆が秋山軍に敗れるとそれ以上兵を割く余裕はなかった。

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出丸から見る本丸の石垣。


兵糧も尽き、援軍の敗退で孤立無援となった籠城軍の士気は落ちざるを得ない。

遠山軍と秋山軍の和議交渉の過程で、秋山虎繁はおつやの方に惚れてしまったのであろう。

云うまでもなく、織田の家系は美男美女であり、叔母といえども信長よりも年下だった未亡人に虎繁は夢中になったのかもしれない。

無血開城の条件は「夫婦になること。御坊は甲府に送るが、成人したら遠山家の当主として迎える。それまでは小生とともにこの城を守る事」だったらしい。

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出丸の売店。蘭丸が岩村城の城主だったという間違った解釈があるらしい(笑)

武田軍の伊那・飯田侵略における司令官として武勲をたてた秋山も織田一族の妖艶な色気には無条件降伏だった。

事の顛末を知った信長は、血管が切れるほど激怒したらしい・・(そりゃーそうでしょうねぇー)

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お別れ記念に横からみた六段壁。

残念ながら、復讐の鬼と化した信長は三年後に岩村城を攻め落とす。

この一族、美男美女の系列だけあって、プライドは富士山やヒマラヤ山脈以上に高いのだ・・・・(笑)

甲斐の田舎侍の火遊びの代償は「逆さ磔」

悲惨な最期でしたが、三年間の新婚生活は充実していたのだと願って止まない。

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凄惨な落城悲話に郷愁をおぼえつつ、寒さに凍えた体を温めるために城下町で「味噌煮込み定食」を注文する。

「美味い・・・・」

五臓六腑に沁み渡る。

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駅舎のオバちゃんに預けた荷物を受け取り、再び明智鉄道に乗る。

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電車は美術館だった。この国を背負う子供たちの展覧会の会場でした。

かくして、美濃岩邑城の旅は無事終わったように見えたのだが、悲劇の舞台は信州上田に移るのであります(汗)

(って、まだ続くんかい!!)



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Posted on 2012/02/06 Mon. 22:23 [edit]

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