らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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長窪城②(長和町)  

◆村上攻略における武田軍の前衛基地◆

予告した以上、続編は掲載しなければならない(笑)

信州の山城を制覇するには、常に武田信玄の幻影との戦いになる。

彼は、信州における国人土豪の高所にある山城を各個撃破するが、比較的比高の低い平山城に属する城館は再利用している。当時のエコの最先端である…(笑)

諏訪の上原城、佐久の前山城、勝間反砦、岩尾城、小県の長窪城、塩田城などがそれに当るのかもしれない。

ある程度侵略地に覇権を確保すると、そういう類の城は潔く捨てて新たに政庁を兼ねた平城を普請している。

深志城、岡城、小諸城、高島古城、海津城、牧野島城、森城・・・・。

いちいち山の砦に逃げ込まなくても治安維持が出来る事を信州人に教えているのだ。
戦国大名とは強さだけでなく、そういう先見の明を持ち合わせた者しかなれないのである。

長窪城鳥瞰図


今回掲載する長窪城②では、武田軍による過渡期にあった平山城の再利用について考察してみる事とする。

長窪城② (34)
搦め手方面から本城を見る。この城のウィークポイントである。

長窪城の築城時期は応永年間頃(1400年)と云われ、芦田氏(依田氏)あるいは大井氏が造営したと伝わる。
(芦田城の外郭の城として築かれたとも)

芦田氏が没落し佐久の大井宗家の配下に組み込まれるに及び長窪城は大井氏によって整備されたらしい。

天明十六年(1484)二月、岩村田城(王城)の大井宗家(政朝)は村上軍の攻撃を受け滅亡する。以後、長窪城主は依田氏に替わり、流れを汲む貞隆が大井の名跡を継いだと云う。

長窪城② (45)
かなり埋もれてしまった堀切㋐。最終の堀切なので往時はかなり深さがあったと思われる。


宗家を継いだ貞隆は岩村田に移るが、天文九年(1540)に武田信虎・諏訪頼重の連合軍は佐久及び小県郡への侵入を繰り返し、長窪城は諏訪頼重に占拠されるに至る。

長窪城② (56)
堀切㋑。上巾6m程度であろか。

翌年、諏訪上社の大祝頼継(高遠頼継)と謀り諏訪頼重を滅ぼした晴信は、天文十二年(1543)に長窪城を攻めて大井貞隆を生捕にして以後、長窪城は村上義清攻略の前進基地となった。

長窪城② (2)
上巾8mの堀切㋒。どの写真も同じに見えるゾ!!(笑)

大井氏時代の縄張りは不明である。恐らく連梯式の郭で堀切など無かったと思われる。

当時の大門街道は「諏訪道」と呼ばれて古来よりの重要な街道であったし、古府中(松本深志)から武石峠を越える古道との合流地点に当る要所を抑えるには、この城は極めて重要だったのだ。

長窪城② (46)
まあ、どれも同じに見えるので尾根筋から㋓と㋔を撮影してみた。

長窪城② (68)
主郭手前の㋔は北側に深く落ち込んでおり、㋐㋑㋒㋓と合流して扇状の堀を形成していたと考えられる。

現存する長窪城は、武田軍による改修の最終形であろう。

主郭背後に執拗な五条の堀切を穿って竪掘りとして、更に北斜面に一条の竪掘りを増設している。

長窪城② (15)
本郭から北へ落ち込む尾根筋には麓へ続く竪掘が見られる。

フロントである大手筋の郭の間にも四条の堀切を造作し堅城に作り変えている。

長窪城② (48)
本郭と望楼のあった高土塁跡。

史蹟跡の標柱には、高土塁周辺を本郭、一段低い平地を二の郭としているが、宮坂先生の考察通りでここは一つの郭(本郭)であり、高土塁は後から造成したのであろう。

長窪城② (5)
まさしく依田窪流域を見渡すことが出来る絶景である。

長窪城② (49)
主郭と二の郭を断ち切る堀切㋕。その威容は今でも衰えていない。

このような小さな平山砦に、武田軍団が収容出来たのであろうか?

実は、城の北側の麓には北古屋と呼ばれる平削地がある。

長窪城② (21)

河岸に出来た崖上台地なので、敵の襲撃のリスクも少なかったと考える。

一段上の郭には、屋敷があったと思われる。

長窪城② (42)
大手登城口手前の高台。常駐した守将の館跡であろうか。

城の南東の隅には馬場跡がある。

長窪城② (52)

周囲を石積みの土塁で囲んでいるこの曲輪には、やはり特別な思惑があると思われる。(35×15)

長窪城② (19)
石積みで強化された馬場跡の土塁。

天文二十二年(1553)八月、塩田城の村上義清を放逐すると、飯部虎昌を塩田城代とし前進基地を移す。この頃に長窪城の役割は終焉したのかもしれない。


信濃統一へ向けた初期段階における武田晴信の国人土豪の城の活用方法を知る上で、長窪城は貴重な証人である。

城跡は整備されているし、比高も低く搦め手までは車で行けるので、是非訪れて頂きたい平山城であります。

長窪城② (22)
長窪城全景。

≪長窪城≫ (ながくぼじょう 深山城、霞尾城)

標高:726m 比高86m  
築城年代:不明
築城・居住者:依田氏・大井氏・武田氏
場所:小県郡長和町古町城山
攻城日:2012年3月3日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、堀切、土塁
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」











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Posted on 2012/03/10 Sat. 00:01 [edit]

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