らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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長尾城(上田市)  

◆尾引城の詰め城か?◆

雨がようやくあがったばかりであるが、攻城の軍を起こす。

「掲載すると言った以上、約束は守らなければなるまい…」 このことである(笑)

しかし、尾引城もガスっている(汗)。そしてその先の比高250mに位置するであろう長尾城は全く見えない(爆)

「こりゃーヘタこけば遭難するかもしれんのーーーーーーーー」

こうしてWEBサイト初登場となる長尾城の攻城戦が切って落とされたのである。

長尾城

尾引城の尾根北側にある副郭(三の郭)を越えて稜線を更に奥に進むと登城口がある。

しかしこの先には目印などなく、尾根伝いに登るしかない。しかも残雪だらけだ。

悪戦苦闘しながら15分ほど登ると、なだらかな稜線となる。

長尾城 (4)

ガスってて周囲は見えないし、雪の上の獣の足跡もカモシカ以外のものが交じってるし、この先大丈夫だろうか?

ここまで来たら引き返すのもアホらしいのでとにかく進むしかない。

更に15分、急斜面と遭遇し最後の難関を突破するとようやく城域に到達する。

長尾城 (6)
一部をかさ上げしている本郭。

まあ、晴れていたとしてもこの雑木林じゃ視界もどうなんでしょうネ。

それよりも霧の間から何かが襲って来そうで恐かった・・・・(冷汗)

長尾城縄張図 ②
最近は縄張図の作成にも慣れてきたゾ。


でもね、堀切を見るとホッとするのです(笑)

こんな山の上で土木作業が行われた訳ですから、さぞかし辛かった事でしょう。

長尾城 (7)
上巾9mぐらいでしょうか。立派な堀切です。

長尾城 (10)
堀底から本郭を見上げると、結構な高さです。


本郭と二の郭を合わせても50m×13m程度の広さしかないので、ふだんは物見か烽火台であり緊急時の逃込み城だったと考えられる。


長尾城 (13)
巾3mの堀切㋑。その先は平地があり、大手口は信綱寺だったと推定される。


大手側に二本の堀切を敷設し、最終の二の郭の背後を太めの堀切で穿つ。オーソドックスな縄張で防禦を強化したとは思えない。横尾氏時代のままで終わったようだ。

長尾城 (17)
32×13本郭。

長尾城 (18)
二の郭との間に堀切を入れて郭を分割している。


宮坂武男氏の「図解山城探訪 第三集上田小県編」の解説によれば、この城は最近発見されたものだと云う。

この地を治めていた横尾丹波守吉信の書を近世になって書写した青木家所蔵の「長亨日記」によると、武田と争っていた村上国顕が砥石城の支城として打越城、長尾城、本城(内小屋館?尾引城?)の三城を新たに普請させ、打越と長尾の二城は埴科郡と佐久小県の諸子に交代で在番を命じたとあるようだ。(本城は横尾の居館とした)

宮坂氏はこの文書の内容については検証が必要としてるが、地元ではこの場所を長尾と呼び江戸時代の古地図にも城跡の記載がある事から城があったとしてもおかしくはないだろうと述べている。


長尾城 (22)

長尾城 (25)
かなり埋もれているが、南側の斜面に竪掘りとなって削られているのが分かる。


この長尾城からは、裏手になる松尾古城を除けば周辺の城の全てが網羅出来る。
(残念ながら現在では雑木林で良くみえないのだが)

真田氏の支配下時代も重要な場所として機能していたと推測される。

調査を終えた後は、霧の恐怖から逃げるように退却したのは言うまでも無い・・・(笑)

一歩間違えれば遭難騒ぎでしたぁー(汗)

まあー晴れた日に登るのがお勧めですネ!!(ってか当然でしょう・・)


≪長尾城≫ (ながおじょう)

標高:940m 比高250m  
築城年代:不明
築城・居住者:横尾氏、真田氏
場所:上田市真田町横尾鳥沢頭
攻城日:2012年3月18日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:35分
見どころ:郭、堀切
その他:近くには尾引城、打越城、内小屋館跡、信綱寺がありセットでお勧めだ。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」

洗馬城 (15)
洗馬城から尾引城、長尾城を臨む(2008年4月撮影)




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Posted on 2012/03/18 Sun. 17:40 [edit]

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