らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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尾引城(上田市)  

◆真田から善光寺平への松代街道を押さえた城◆

久々の晴れ間となり湯の丸高原へ向かう途中にある鷲尾城を攻めに行くが、本日お彼岸なのであった。

山麓の墓地から直登するつもりが、お墓参りの行列に遭遇しヒンシュクを買いそうだったの中止。しからば別ルートをと思い奈良原の別荘地からの侵入を試みるが、完全に私有地であり住居不法侵入となるので撤収…(笑)

仕方がないので祢津支城(東御市滋野原口山)→城っ平城(真田町大日方)→日向の館→上野屋敷の館を制圧する。ここまで来たなら松尾城~遠見番所も攻めれば良いのだが、明日仕事にならなくなるので捨て置く・・(爆)


今回ご紹介するのは、「霧の尾引城」(攻城戦は4年ぶり二度目でございます)

尾引城縄張図 ②


話は逸れてしまうのですが最近縄張図を描いて手思うのは、尾根に築かれた山城って、どうも戦艦のイメージに似てるような・・・・。

尾引城の場合は、主艦橋の前面を十数段の段郭で武装しているし、3の郭は後部艦橋で魚雷発射管(堀切)がある。

軽巡洋艦並みの武装だ・・・・(やっぱビョーキか! 笑)

尾引城② (10)

横尾集落からの比高は約80mなので平山城の部類である。

大手筋は横尾神社と思われるが、幾層にも重ねた段々畑腰曲輪は圧巻である。
(後世に作られた耕作地も交ざっているようだが・・・・)

尾引城② (25)


主郭は秋葉社の造成に伴い改変されているが、北隅の社の部分には二段の土塁が確認出来る。

尾引城② (11)
中央の盛土は後世のものだと思われる。

尾引城② (3)
拝殿の造作に伴い石垣があるが、往時は土塁だった。

主郭の背後は高さ10m以上ある三重の堀切。

いつ見ても痺れるゾ!(笑)

尾引城② (12)

尾引城② (17)
㋐の堀底から主郭を見上げる。


尾引城② (27)


尾引城② (32)
堀切㋒はかなり埋もれてしまっている。

三重堀切の後は20×10程度の二の郭が続き、その先は一重の堀切。

尾引城② (23)
南側から見た二の郭、その先に本郭。

尾引城② (13)
二の郭の堀切。


ここで城域が終わるような気配だが、その先の尾根に120m切岸を付けて三の郭が現れる。

尾引城② (28)
三の郭に続く尾根。切岸にしているのが分かる。


城の名が示す通り、尾根に加工度の高い防禦処理を行って背後からの侵入者に備えている。

三重堀切、切岸処理、三の郭の砦化は、真田時代による改修の跡であろう。

尾引城②
尾根が一段高くなり三の郭が出現する。

尾引城② (5)
三の郭内部。背後を土塁で迫り上げている。

尾引城② (19)
土塁の背後は堀切。

この先しばらく切岸が続き、長尾城への分岐となる。


真田幸隆は、横尾地域を支配することで善光寺平へ抜ける地蔵峠までを手にした。

弘治二年(1556)武田晴信より尼巌城の攻略を催促された幸隆は、真田より地蔵峠を越えて進軍し東条氏の籠る尼巌城を落城させ晴信の期待に応えその信任をますます厚くしたのだ。
(海津城の普請はその四年後)


とまあ固い話はここまでにして(笑)、この城、桜の季節には是非訪ねて頂きたい隠れた花見の名所であります。

尾引城 (10)

尾引城 (31)
上記2枚の写真は2008年4月28日撮影。

お弁当持って満開の桜を見ながら、古の武士たちを偲ぶ・・・・・なかなか風情があります。


≪尾引城≫ (おびきじょう  横尾城・三日城)

標高:760m 比高80m  
築城年代:不明
築城・居住者:横尾氏、真田氏
場所:上田市真田町横尾
攻城日:2012年3月18日(初回訪問:2008年4月28日) 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、三重堀切、土塁、切岸
その他:真田の山城ネットワークをこの機会に堪能あれ。
参考文献:「探訪信州の古城~城跡と古戦場を歩く~」

尾引城 (4)
本郭からの雄大な景色。


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Posted on 2012/03/20 Tue. 18:12 [edit]

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