らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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城っ平城(上田市)  

◆上州からの侵入者を監視した真田郷最北の城館◆

すみません、昨晩からPCの引っ越し作業に追われてまして…(汗)

4年間お世話になったノートPCですが、半年前にバックライトがダウン。

延命治療をしてきましたが、もともと120GBしか容量がなくデータも満杯。外付け買うくらいなら買い替えるか、ということでようやくセブンに格上げ(笑)

koutai1.jpg
攻城戦記の作戦司令室(?) データの引っ越し作業中でございます。


で、今回ご紹介するのは「城っ平城」(じょうっぴらじょう)

この城館は日本城郭体系にも掲載されていないし、古文書や口伝などでもここが城館跡だという事実は発見されていない。

宮坂武男氏の「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」にのみ記載されている。

宮坂氏曰く、

「神川と和熊川の合流する三角形の台地の上は城平(じょうっぴら)と呼ばれており、和熊川に沿った道は古くから上州妻恋村へ抜ける主要道路で谷奥には夜宿と呼ばれる場所があり、交通及び交易の場になっていたという。このことからすると、和熊川の谷の口元に立地する城平の性格は自ずから分かると云うものである」

城っ平城 (15)
台地の上が居館跡(推定)とされ、左の山は地元では「ホウキ山」と呼ばれている。


小生にとっては神である宮坂氏の推測を全て肯定するのではなく、正確にトレースする事で検証してみたかっただけなのである。


上州の吾妻郡と信濃の真田郷は峠を隔てて隣接しているとはいえ、真田氏の領国経営においては難しい課題だったと思われる。

現在は鳥居峠超えだが、古道は角間峠か和熊川の流れる大日方の沢を越えたのだという。

城っ平城
城っ平と呼ばれる山裾の台地。

角間峠から真田郷への監視としては松尾城・遠見番所があり、麓の城館としては「日向の館」「上野屋敷」で抑えた。

この場所にもそれなりの身分の者を置き街道の監視と吾妻への連絡網としたことは合点のいくところだ。

城っ平城 (14)
現在は畑となっている数段の平削地。

遠見番所からも見ることが出来る位置なので、居館の脇にある山は狼煙火台として使われたのかもしれない。

「ホウキ山」とは山から煙が立ち昇る様子から付いた名前であろう。

城っ平城 (10)

この地に伝わる戦国時代の古文書が発見されるとよいのだが。


≪城っ平城≫ (じょうっぴらじょう)

標高:916m 比高35m  
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏?
場所:上田市真田町大日方字城平
攻城日:2012年3月20日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
見どころ:郭跡
その他:耕作地なので注意
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」

城っ平城鳥瞰図


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パソコンが「おにゅー」になったのは良いのだが、操作に慣れるまでが一苦労だ・・・・(笑)
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Posted on 2012/03/24 Sat. 16:54 [edit]

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