らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0401

三日城(上田市 リバイス)  

◆竹藪のトンネルに守られた見張り砦◆

山城攻城戦の良きシーズンは閉じようとしている。

しかし、土曜日は破天荒となり上田周辺の山々も再び白くなった・・・無念である(笑)

仕方がないので、上田周辺の城郭を記事のリバイスを兼ねて荒らしまわった一日とあいなりまいた(爆)

で、今回はリバイスするために真面目に捜した三日城を改めてご紹介。

三日城縄張図2

長野県町村誌に「尾野山組の北の山背八町 千曲川に臨める山腹になり。堀切二条、甚だ険峻なるを以て、東辺一厳崩壊して形状を損す。今存する地方十間(18m)石塁存す。真田氏数度の軍に守兵を置処と云ふ。西に湧泉あり。其地南に山を負ひ千曲川の南峯にして三面開け、眺望??なり」とある。

三日城2 (25)
三日城の入り口にある新池と、その後ろは尾野山城。


以前紹介した記事は推定地でありしかも峯を一つ間違えている。今見ると恥ずかしい限りである・・・(汗)

初心者のミスはミスとして消さずに、また戒めとして残しておこう(笑)


さてさて、意気込んで乗り込んだが、またも場所が特定出来ずに登ったり下ったりの繰り返し。挙句の果てに新池の横の山に登る有様である。

「山城=登る」おバカの思い込みを捨て、下ってみると正解にたどり着く。

三日城2 (24)
答えは竹のトンネルの向こうにあったのだ・・・・(爆)

薄暗い竹林を歩くと視界が開けて堀切らしき残骸が目に入る。

「ここが三日城の城域なのであろうか?」

三日城2 (22)
農道に利用されたせいか改変されているが上巾4mの堀切。

「こぶ」のような郭があるという。確かに確認出来る。

三日城2 (21)
堀切を見下ろす位置になるので迎撃兵の待機場所であろう。

三日城2 (17)
西側面の農道から見た三日城。

単郭の見張砦なのであまり期待はしていなかったが、それでも真田氏は防御に念を入れたようだ。

帯状の細長い郭と本郭の間には堀切があり、面白い事に東側はL字に曲げてあるのだ。

三日城2 (1)

三日城2 (2)
堀底には竹の逆茂木が・・・・しかし成長し過ぎて役に立ってない(笑) 堀切は上巾10m程度であろうか。

依田川流域の依田窪地域を制圧した真田昌幸は、尾野山城(長瀬)~丸子城~武石における連絡網を構築する必要性に迫られたのだろう。

小牧城を活用しても、上の城からは尾野山城は見えない。千曲川の湖畔から中間地点である古道の四十八曲の頂上付近に砦を築くことで左岸の防衛網を完成させたと思われる。

三日城2 (8)
本郭の周囲は土塁で囲まれている。

この砦跡からは、対岸の伊勢崎城、矢沢城、砥石城なども臨む事が出来る。

徳川軍の攻撃を予想し急遽築かれた烽火台だったという見方も出来る。

第二次上田合戦の折、真田昌幸と徳川方となった信幸の会見場所が信濃国分寺であったとされるので、万が一の際はこの砦に合図が送られたと考えてもよかろう。

三日城2 (10)
視界は良くないが、砥石城も見渡せるロケーション。

三日城2 (12)
本郭から堀切㋐を見下ろしてみた。


戦とは、陣地の技巧にあらずして、用兵の緩急にて決するものなり。

信玄公の小姓を務めた昌幸ではあるが、要所を押さえた小粋な砦である。

守備兵も真田昌幸とこの砦であれば、 「負ける気がしない」  このことである。

リーダーとはいつの時代もかくあるべきと改めて思う砦なのである。

三日城2 (26)
沢を挟んだ峰にあるauの通信塔から見る三日城。


道に迷ったら、上から読んでも下から読んでも「竹藪焼けた(タケヤブヤケタ)」を想い出して欲しい(爆)


≪三日城≫ (みっかじょう 漣城(さざなみじょう))

標高:625.6m 比高145m(千曲川湖畔より)
築城年代:不明
築城・居住者:真田氏
場所:上田市尾野山神田
攻城日:2012年4月1日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:10分(新池より)
見どころ:土塁、堀切、石積み跡
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」(城歴及び縄張図を参考)

三日城 009
しなの鉄道信濃国分寺駅付近から見る三日城。(撮影:2010.07.25)


大きな地図で見る





スポンサーサイト

Posted on 2012/04/01 Sun. 20:12 [edit]

CM: 2
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top