らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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根古屋城②(上田市 千小屋城)  

◆謎が残る根古屋城の「低い城」◆

根古屋城については、2010年8月に小生も掲載している。とても恥ずかしい記事なのだが、若気の至りということでご勘弁いただきたい(笑) どうしても見たい方は⇒根古屋城

地元の真田町では根古屋城の南の沢を隔てた場所の郭を「千古屋城」として表示しているが、その根拠は明確でない。

謎を調べるために重い腰を持ち上げて千古屋城を攻めてみた。

千古屋城 (1)
根古屋城の登城口から南へ100m下ると千古屋城の登り口のガイドがある。


諸先輩のブログやHPでも考証は様々である。

日ごろお世話になっている城と古戦場の管理人であるマサハレ様や、春の夜の夢の管理人のアテンザ21様はこの城については、根古屋城の郭の一つという見解を示している。

千古屋城 (3)
本郭(?)と称される郭への入り口には虎口らしき作りもある。

千古屋城 (4)
確かに竪掘が存在しているのには驚く。

高い城と呼ばれる根小屋城が主郭+帯状郭+段郭で構成された狭い城域なので、普段の詰め所として隣接するこの地に何らかの施設があったのかもしれない。

千古屋城 (7)
岩場に建つ「御大典記念碑」。東屋の建設でもこの郭はかなり改変されてしまったのであろう。

千古屋城 (8)
ここを複合城の別城の本郭とするには無理がある。

千古城を城館として、その詰めの城を根古屋城とする構築も無きにしもあらずだが、伝承の通り「高い城」と「低い城」つまり「上の城」と「下の城」の関係と割り切るのが無難であろう。

千古屋城 (10)
石碑から見上げる根古屋城本郭。

宮坂武男氏によると「長野県町村誌」には根小屋城に関して以下の記載があるという。

「村の南部字若宮の北に在り。山高い厳壁十匁天険の地なり。里老の云ふ、此の砦は天文中、村上戸石合戦の際、敵の挟撃を拒がん為め、将校を置きし処にして即小屋若干を作り戌卒を置く。故に千小屋の城とも称すとも云ふ、未詳。此砦より南の方十町を隔てて陣馬の畝の称あり。またその南数町の地に武士水の称ありて、皆戸石城への通路に係る・・・・・(後ろの文 省略)」

千古屋城 (15)
南側を徘徊する。陣馬の畝を仕切る郭の石積みなのだろうか?往時のものとは断定し難い。

確かに石碑や東屋のある場所の南側には数段の広大な広場があるが、耕作地としてかなり改変されていてここが郭だと言い切るには難しいものがある。

千古屋城 (17)
背後には堀切や土塁も無い広大な平地。

戸石城の背後となるこの場所には、連絡用として何らかの施設があったことは推察できるが、現状の遺構を見る限りでは確証が持てない。

登山道もかつては大手口の石積みだったらしく、斜面にも郭を覆っていたと思われる崩落した石が散乱している。

千古屋城 (18)

長野県町村誌にもある通り、千小屋城=根小屋城であり同一の城であることは間違いない。

残念ながら当時の威容は見る影も無いが、砥石城の支城として松代街道を抑える要所にあり真田氏の支配後も一定期間は機能していたと見るべきであろう。

千古屋城 (21)
天然の堀切ともいうべき沢が本城との仕切りを形成している。

千古屋城 (9)
ここからの風景は文句ない(笑)

小生も敢えて別城という解釈はしない事にします。


≪千小屋城≫ (せんこやじょう 根古屋城)

標高:765m 比高:95m
築城年代:不明
築城・居住者:曲尾氏(?)村上氏、大熊氏、真田氏
場所:上田市真田町曲尾字若宮
攻城日:2012年4月1日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:郭、竪堀、石積み跡
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」

千古屋城 (22)
低い城と根古屋城遠景。


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Posted on 2012/04/02 Mon. 22:14 [edit]

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