らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0428

原畑城(上田市)  

◆数奇な運命を辿った室賀氏の居館◆

「こりゃーもう一度`笹洞城`を攻めてリバイス記事を載せなきゃいかんかのう…」このことである(笑)

二年前の五月に笹洞城を攻めているのだが、かなり遺構を見落としている。

何せ攻城戦の途中で足が痙攣してしまい、5分間悶絶していた苦い記憶がある・・(爆)

でもね、山麓から見える城の攻城戦は辛いのです。行けども行けども辿りつかない恐怖がある訳で、笹洞城もその城の一つです(汗)

原畑城 (5)
原畑城からズーム7倍で撮影した笹洞城。主郭周囲の石積みも目視出来る近距離ではある。


今回ご紹介する原畑城は、室賀氏の居館の名称であり籠城用の笹洞城と一対で「室賀城」としているケースが多く見受けられる。

しかし、ネタの尽きかけたらんまるとしては、ページ稼ぎの非難を承知で単体の城として扱う事にした(笑)

いわゆる「あげ底」とか「水増し」と呼ばれる手法である(爆)

原畑城 (1)
「ささらの湯」から城館に入るには水沢川にかかる「大手橋」を超える。

室賀城は居館一体型の城館であり、平時の政務は原畑城で行い、戦闘時には笹洞城へ立て籠もったのであろう。


原畑城縄張②
室賀城の縄張図。※宮坂武男氏の図解山城探訪を参考に作成しています。


戦国時代の室賀氏は屋代氏とともに村上一族であり、家紋は村上家と同じ「丸に上の字」(清和源氏嫡流)である。屋代氏も室賀氏の家紋も同じだ。

原畑城 (6)
上屋敷と呼ばれる一帯。原組公民館の西側でこの橋までが城域だったらしい。


原畑城 (8)
城域南側は田切地形を生かし切岸にしている。南には大沢川があり立地条件としては申し分ない。


1.室賀氏についての長野県町村誌の記載(抜粋)

「中略~室賀氏は六孫王経基の後胤室賀某より代々之に居る。永享(1429-1440)以来村上氏威勢大におよび本郡を侵す。室賀氏之が幕下となる。天文二十二年(1553)八月、室賀山城守信俊、村上義清に従ひ、武田晴信と上田原に戦い敗績して、義清は越後へ走る。信俊、武田氏に降り、二十騎の将となり後入道す。武勇兼備にして、永禄四年(1561)九月十日、川中島の戦いに信玄斥候を命ず。其男治部少輔信秀、遠州高天神の城代となる。下郷生島足島神社起請文に室賀山城守信俊、同治部少輔経秀、同常陸守正吉、同甚七郎吉久あり。室賀山城守信俊、天正三年((1575)五月、長篠の戦いに重痩を負ひ甲州へ帰陣し終に卒す。同十年三月武田勝頼滅び六月織田信長凶変の際本国空国となり、真田昌幸本郷に威を振ふ。室賀兵部少輔、昌幸と戦ひ勝負決せず。昌幸諮りて和議し、兵部少輔を居城に招き之を殺す。室賀氏の一族浪人し室賀兵庫、徳川氏に仕ひ五千五百石を領す。室賀源十郎紀州藩に仕え千五百石を給わる。」

原畑城 (10)
城坂と呼ばれる屋敷内の道。向こう側が大手橋になる。


天正壬午の乱における室賀氏の動向やその後は加沢記に一部記載がある。

2.加沢記より抜粋
※『加沢記』は、沼田真田藩の家臣であった加沢平次左衛門によって著されたもので、後にその姓
によって付された書名である。

織田氏による武田征伐で武田家が滅亡した時には、高遠城に陣を構えていた織田信忠に小県と佐久の諸侯は恭順の意思を伝えるため出仕している。

(前略)昌幸公の始(ママ)矢沢、祢津、芦田、室賀、三月十五日高遠へ出仕し給て人質を被出
ける、昌幸公も御娘子を、被渡ける、人々本領安堵無相違の旨、追而信長公の御證文可進とて信
忠公何れもへ御盃を賜り帰城せられ厳重の御儀式也(以下略)

上野国及び小県郡と佐久は滝川一益の支配下となったが、信長が本能寺の変で横死すると、後北条氏が上野国に攻め入り、神流川の合戦で滝川一益が敗れる。滝川は本国に逃げ帰り信濃と上野は後北条氏、徳川氏、上杉氏の草刈り場となる。(天正壬午の乱)

小県郡と佐久の諸侯は、信濃へ進出してきた徳川氏に出仕するが、真田昌幸は小県郡の独力による統一戦を進め、天正十一年十月に領土の隣接する室賀氏の居館を攻めた。
この戦は室賀氏より和議の申し入れがあり決着が着かなかったが、徳川家康は翌年の六月に室賀氏に真田討伐を命じる。
この情報を事前に入手した昌幸は、室賀信俊を完成間近の上田城に招き謀殺している。
※加沢記では信俊として記載されている。
恐らくこの時に室賀惣領家は浪人となり、室賀郷は真田領に併合されたと思われる。

徳川家康は、臣下である室賀信俊を謀殺した事を理由に翌天正十三年八月に真田攻めを開始する。(第一次上田合戦)

・・・読むのも面倒くさい・・・・(?? 笑)

原畑城 (11)
獄門坂(ごくもんさか)と呼ばれている坂道。この先に刑場でもあったのだろうか。


原畑城 (4)
すぐに登れそうな笹洞城。往時は原畑城からの道が整備されていたのであろう。


真田氏の台頭により故郷を追われた室賀氏だが、一族の一部は真田に従い信之の海津城への転封とともに松代へ移住したものと思われる。(あくまでも個人の推測であるのでお許し願う)


原畑城 (13)
大手橋より見た室賀城全景。


≪原畑城≫ (はらばたけじょう 室賀氏居館 室賀城)

標高:560m 比高:12m
築城年代:不明
築城・居住者:室賀氏
場所:上田市大字上室賀原組
攻城日:2012年4月22日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
見どころ:全体の雰囲気
その他:笹洞城は攻めるべし。ささらの湯の裏側の尾根伝いに攻めるのが無難だが、途中道が無くなる(笑)
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」(縄張図・伝承)/「加沢記」






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Posted on 2012/04/28 Sat. 08:14 [edit]

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