らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鳥屋城(上田市 リバイス)  

◆鳥屋城保存会の皆さまのリクエストにお答えしてみた◆

2年前に掲載した鳥屋城の記事にコメントを頂いた高田様とお話させていただきました。

聞けば地元の鳥屋城保存会のメンバーとしてご活躍で、鳥屋城や鳥屋砦、鳥屋峠の整備を行いこよなく地元を愛する豪快なご仁でいらっしゃいました。

お持ちいただいた資料には馬念さんの鳥屋城に関するHPの印刷物、マサハレ殿の鳥屋城、鳥屋砦、小山城に関する記事のコピー、小生のものもお持ちでした。

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上田市の広報に掲載された鳥屋城保存会の皆さんの活動のスクラップと馬念さんのHPスクラップ。

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左端の赤Tの方が高田さんです。


といういきさつもあり、小生が記載した前回の記事では申し訳ないので、地元のよしみということもあってリクエストにお応えして再度調査の為に大手口から登城しました(笑)

鳥屋城2 (1)
鳥屋地区からの登山道。往時はここから尾根に登る道が大手口だったという。


鳥屋城2 (2)
きれいに整備された登山道の脇には小川が流れていて城の水の手だったと思われます。

高田氏によれば、城の手前285mまで軽トラックで登れるそうだが、乗用車では無理でござる(笑)

では、ここで小縣郡史(大正十一年発刊)の記述をご紹介しよう。(長文引用なのでご勘弁)


【烏帽子城】(丸子 武石 東内)

烏帽子城は一に烏帽子形城(丸子 武石) 依田城、首切城(共に武石)鳥屋城(武石 東内) 太平寺城(東内)とも呼ばれる。
丸子町腰越區小字上川原の檜澤山と、武石鳥屋區小字大平と、東内村小字小屋坂の太年寺山との境上にある山城なり。
本郭は東西十二間、南北十四間あり、其東北、西、南の三方には腰郭?れり。これより東北方には堀切三條ありて小方には小郭六段ありて漸次降下す。其初二段の階線には石垣僅かに残存す。南方には小郭一段ありて堀切一條ありて自然の山背に連なる。其西南方鳥屋區より登るを最易しとす。兵站部は此方面たるべし。沖區、腰越區東内方面は急坂登るも難し。そして其防御工事は依田川下流方面に対して施されるを見る。
木曽義仲嘗て依田城に兵を挙ぐ。此時一部将もや拠りたりけん。烏帽子城を一に依田城と呼び、義仲挙兵の城なりとの傳あり。武石村沖區に木曾川あり、鳥屋區に今井沖などの地名遺存せり。
又此東北に亘る山脈中に、腰越區にて依田城と云えるものあり、其地勢より本支の関係あるべきこと。爾地にて何れも依田城なりと傳ふることによりて烏帽子城を本城とし腰越區のものをその支城となすの説あり。
(長いので後略)

鳥屋城2 (3)
大手筋の登山道には等間隔で「あと○○m」の表示があり細やかな気配りが感じられる嬉しい配慮だ。


20分ほどで城域の入り口である尾根筋に到達する。


鳥屋城2 (12)
尾根には吹き流しが立てられている。そういえば小牧城や依田城(御岳堂)にもあったっけ。


ここからは見取図を参考にしていただくと良いと思う。

鳥屋城見取図②
リバイス記事の為に描き下ろしてみましたが・・・・(汗)


鳥屋城2 (15)
大手筋には三段の郭があり天然の地形を利用した防御と思われる。


途中で見える景色は素晴らしい。
旧丸子町東内地区は手に取るように見えて、この街道筋も監視出来る位置にあった事が良く分かる。
二年前に攻城して遭難しかけた水の手城も良く見渡せる。

鳥屋城2 (16)
お願いされても絶対断る忌まわしき「水の手城」

ほどなく二の郭、そして本郭に到達する。階段の整備も行き届いているのには恐れ入る。

鳥屋城2 (21)
石積みが周回する郭2。


鳥屋城2 (29)
郭2の南東には桝形があり本郭への備えは厳しいものがある。

鳥屋城2 (34)
22×187の本郭。


2年前と変わらず良く整備されている本郭。三角点のある場所は土塁で迫り上げている。
郭2の桝形と連携させることで防御力はかなり高いと見て取れる。

鳥屋城2 (36)
郭2から計測すると3mはある土塁。

鳥屋城2 (40)
南へ続く郭3。


鳥屋城は、いわゆる「独立峰」なので、三方の尾根に防御処理を行っている。

居館のある南尾根方向と小屋坂峠に続く北東方向、大手の西尾根への処理をしている。

北東は搦め手方面なので五重の堀切を重ねて恐ろしい防御を敷いているのは頷けるが、居館のある鳥屋地区に繋がる尾根は傾斜が緩い事もあり万が一に備えてこちらも厳重な防御体制を敷いている。

鳥屋城2 (45)
郭3から連続する二重の大堀切。堀切㋕の上巾は11m。(堀と堀の間は高い盛土で高低差を付けている)

鳥屋城2 (52)
東斜面から見上げた堀切㋖(上巾18m)。傾斜、深さともに充分である。

南の尾根筋には中間に小規模な二条の堀切を穿ち60m先に堡塁を築いている。

鳥屋城2 (58)
堀切㋗

鳥屋城2 (59)
堀切㋘


鳥屋城2 (61)
尾根の高みに築かれた3×5の堡塁。

南尾根の堡塁の先には、さらに見張り小屋のような砦があるという。

今回の訪問は断念したが、高田氏によれば「首切り城」と伝わるのは堡塁から見張り台にかけての場所であり、麓の畑は「首切畑」と呼ばれ、落ち武者狩りを行った武田軍が処刑を行いその首を尾根に晒したと云い伝えがあるらしい。

鳥屋城2 (62)
堡塁の先は二重の堀切を経て見晴らし小屋へ続く。かなり厳しい防御ラインである。


さて、それでは北東の尾根に刻まれた五重の堀切をご紹介しよう。

鳥屋城2 (77)
上巾10の堀切㋐。郭2に上がるには石積みを越えたのであろう。

鳥屋城2 (80)
堀切㋑。やはり上巾10m。北の沢に向けて長い竪掘りとなって落ちている。

鳥屋城2 (84)
堀切㋒から見る本郭方面。

鳥屋城2 (82)
堀切㋒と堀切㋓の間には郭4(9×7)


鳥屋城2 (85)
北尾根の最終郭5。(21×13)

鳥屋城2 (89)
五連続堀切の最終の堀切㋔。(上巾8m)

上田小県地方でこれほど整然と仕切られた五連続の堀切は他に長窪城ぐらいであろうか。

実に見事である。

依田窪におけるこの場所は、南は大門街道、西は武石峠を越えて入山辺、北は小屋坂峠や鳥屋峠を越え三才山峠・或いは平井寺峠や砂原峠を越えて塩田平に入る古道が交差する要衝の地であり、武田信玄による後略後もそのあとの真田昌幸の小県統一戦においても重要視されて改修が続けられて戦国末期まで機能したのではないだろうか。

鳥屋城2 (99)
堀切㋐・㋑・㋒・㋓は北西の斜面で竪掘りとなり集合堀になっていた跡が見られる。


今回お話を伺った高田さんも「信玄公は嫌いだ」と公言されておりました。

征服される側の悲しきDNAは受け継がれるのでしょう。

なので鳥屋城は「真田昌幸公」に関連した城という事で売り出し中だとか。

確かな伝承や記述の裏付けが無いので何とも申し上げられないのですが、地元の皆さまの熱意は非常に感じられますし、これだけの規模の山城ですから、昌幸公のお墨付きなど無くても大丈夫だと思っております。


鳥屋城周辺遠景
高田さんからお借りした鳥屋城周辺の写真です。(首切城の矢印が堡塁の場所)


鳥屋地区(とやちく)にある史跡や峠などを地元の皆さんが定期的に整備されているとの事です。

首切城などという名前が付いていても、「おらが町の山城」という熱意には感嘆致しました。

先日、奥さんと根羽城を訪れたとの事で、「写真のデータやるから、使ってよ」と云われどうしたものかと(笑)

また遊びに行きますんで、それまでは奥さんと山城探訪楽しんで下さいませ!

鳥屋城2 (104)
鳥屋地区の登山口から見る鳥屋城遠景。


≪鳥屋城≫ (とやじょう 烏帽子城、依田城、首切城、太年寺城)

標高:850m 比高:230m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市武石鳥屋
攻城日:2012年5月12日 (初回訪問:2010年5月) 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:30分
見どころ:五連続の大堀切、土塁、石積み、腰郭など
その他:長窪城と並ぶ大堀切の美しい山城です。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」「小県郡史」









Posted on 2012/05/24 Thu. 22:48 [edit]

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