らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山家城②(松本市 リバイス)  

◆中信濃を代表する要塞城 C区域攻城戦◆

最近、やっかいな問題と直面している(汗)

ブログを始めてから約3年目になるのだが、初期の頃のレポートをご覧になる方もいるので過去記事のリバイスをしないと、現在の描写方法と乖離が生じてしまい「????」」というありさまである(笑)

まあ、そのうちに再調査をしてボチボチとアップしますのでお許し願いたい。


【C地区調査記】

山家城2012 (28)
B地区とC地区の境にある㋜の大堀切。

現在の登山道は、B地区で紹介した㋐㋑㋒の三本の堀切に㋜の堀切が合流する堀底だったと推定される。
簡単にC地区に繋がる道など造るはずもなく、弱点を集合管のような堀底にすることでA地区とB地区の郭群がより強固な機能を発揮する訳である。


山家城見取図 ③

C地区はまさに要塞としての防御機能が満載である。

この地区の司令塔である郭3は周囲に石積みを施した土塁が巡り、B地区にむけては二段の郭を配置し、傾斜のキツイ南西の尾根には三本の堀切を設置し、南の尾根には段郭と堀切を組み合わせている。

山家城2012 (33)
西側のB地区への尾根。郭の先には㋜の堀切。

山家城2012 (35)
南の郭から見上げる司令塔郭3。南北を石積みの土塁が覆う。

山家城2012 (36)
500年間風雪に耐えた石積み。

山家城2012 (38)
19×28の司令塔。北側の土塁が確認出来る。

山家城2012 (42)
ぶっきらぼうな積み方が美しい石積み。

埴原城、松代町にある川中島城館群の諸城、松尾城、青柳城・・・・戦国時代末期の信州の山城の集体系である美しい石積み。

「近世城郭の石垣なんぞクソくらえ!」と叫びたくなる一瞬である(笑)

いかん、つい興奮してしまい暴言を吐いてしまった・・・(汗)

そして、ここから組み合わさる五重の連続堀切とのコラボが幻想飛行でトリップするに充分な山城ヲタクへの誘いなのである。

山家城2012 (43)
一番目の堀切㋓。上巾11m。

山家城2012 (49)
二番目の堀切㋔。上巾11m。

山家城2012 (50)
堀切㋔と堀切㋕。まるでコラボしているようだ。

山家城2012 (51)
堀切㋖。

山家城2012 (61)
最終の堀切㋗。上巾18mと最大の規模。


これだけのものを見せつけられるとまさに「ご馳走さまでした!!」なのである(笑)

なので、初回訪問時には、これだけ見て退却すると云うお粗末な攻城戦であった・・・(爆)

しかも五本の堀切は北側斜面で一条の堀として合体している。

恐るべし、武田の縄張り・・・・このことである。

山家城2012 (91)
南尾根伝いにも腰郭を配置し登山道の沢に一条の堀切を穿っている。

南斜面は傾斜がキツイので、尾根の先端までに二条の堀切を施しているらしいが、今回は一番目の堀切だけの確認で終わる。

南東の尾根は更に急斜面で構成され、三本の堀で仕切るのだがここから攻めるとすれば角度が急過ぎて玉砕戦になる恐れがある。

山家城2012 (100)
南東尾根の堀切㋒。

山家城2012 (105)
堀切㋙。

山家城2012 (107)
堀切㋚。

この城域だけでも恐ろしき要塞である。

第二師団が攻めても水の手さえ切られなければ、半月は持ちそうである。(やっぱ何云ってんだかよくわかんない・・・笑)

≪山家城 C地区≫ (やまべじょう 中入城)

℃地区標高:1009.0m 比高209m
築城年代:不明
築城・居住者:山辺氏、小笠原氏(?)
場所:松本市大字入山辺字中入
攻城日:2012年5月4日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:30分
見どころ:五連続の大堀切、堀切、土塁、郭群、石積みなど
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」







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Posted on 2012/05/08 Tue. 23:39 [edit]

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