らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0509

山家城③(松本市 リバイス)  

◆中信濃を代表する要塞城 D区域攻城戦◆

今朝、読売新聞の朝刊を見ていたら興味深い記事が文化欄に掲載されていた。

「小田原城跡 戦国期の石垣」という記事である。

読売新聞記事
まあ、興味ある方は虫眼鏡を使ってご覧あれ(笑)

記事の最終の部分では
「戦国期における城郭の石垣は西国が中心で、20年ほど前までは、東国では八王子城(東京)など一部の城を除き、石垣を備えた城などないとされていた。
だが、金山城(群馬)や鉢形城(埼玉)などでも戦国期の石垣が確認され、15世紀後半~16世紀前半に石垣を備えた城が出現し始めたことが分かってきた。」
とある。

信州の山城にも石垣があるではないか!と言いたいのだが、残念な事に信州の山城で見られるのは「石積み」である。

山家城2012 (41)
美しき山家城の石積み。


城郭サイトのパイオニアである近江の城郭の管理人様は石垣の定義を次のように述べている。

「勿論、近世城郭だけでなく、中世に築かれたお城にも石垣や石積みはあります。近江でいえば、佐生城(能登川町)や壺笠山城(大津市)等があげられますし、お城でもない畑の中にも石積みはアチコチで見られます。畑地を開墾して出てきた石を2~3段程度積み上げるのは、誰にでも出来ることですから、当然のことではあります。
 しかし、ただ単に石を積み上げた石積みは石垣とは云いません。現在では石垣の定義は、「石積みの裏にこぶし大の裏込め石(栗石)等を入れることで、排水対策を施したもの」とされ、定義上石垣と石積みは明確に区別されています~(後略)」

定説を覆す信州の山城における「石垣の城」を誰か発見してくれ!!東国の城の歴史を変えるのだ・・・(爆)


【D地区調査記】

さて悔しい現実を目の当たりにしたところで、今回攻城戦の最終章を書くとしよう・・・(笑)


山家城2012 (62)
秋葉社(主郭1)への入り口。往時は正面の入り口などあるはずもなく、右へ迂回したはずだ。


山家城見取図 ③


城跡に立つ説明板では秋葉社のある郭が一番古い造りなどと記載されているが、D地区は我がブログの常連コメンテーターの指摘通り最後に増設された郭群と見るべきであろう。

山家城2012 (63)
土塁で迫り上げた場所に秋葉社が位置する。47×26はこの城域で最大の面積を誇る。

C地区で終わっていたであろう山家氏の初期の縄張りは、明らかに背後の尾根が最大の弱点となっていて、北側の傾斜の緩い斜面から背後に回り込まれれば防ぎようが無いのだ。(当時は五重の堀切などなかったはずである)

ならば、弱点である尾根にある程度兵を収容出来る最終の司令塔を作れば良いのである。

この手法は、大町にある西山城にも見る事が出来る。

山家城2012 (71)
秋葉社背後の堀切。上巾8mで北斜面に落ちる。

この場所だけでも立派な山城で、腰郭を配置し北斜面には数本の竪堀を刻み厳重な防御を敷いている。

山家城2012 (75)
居住空間を意識した縄張りの後が見られる東尾根。

山家城2012 (74)
北尾根を見張る櫓台の跡。

山家城2012 (83)
D地区最終の東尾根にある㋙の堀切。北側斜面に竪掘となって続く。


D地区はとにかく広い。北尾根に続く峰にも数段の郭を配置している。


山家城2012 (77)
北尾根に続く郭群。



小笠原長時に与してきた山家氏(折野氏)であるが、他の氏族と違い常に一線を引き、武田軍の侵攻に際してはいち早く武田に従軍し、武功を挙げたという。

山家四十騎と伝わるようなので、動員兵力は160名そこそこだったと思われる。

埴原城とともに武田によって改修された山家城は、府中の有事の際に籠城を想定された城であったのだろうか?

見応えと疲れ応え充分な城には違いない(笑)

山家城2012 (115)
山家城遠景。


≪山家城 D地区≫ (やまべじょう 中入城)

D地区標高:1057.0m 比高257m
築城年代:不明
築城・居住者:山辺氏、小笠原氏(?)
場所:松本市大字入山辺字中入
攻城日:2012年5月4日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:40分
見どころ:五連続の大堀切、堀切、土塁、郭群。
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」







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Posted on 2012/05/09 Wed. 22:22 [edit]

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