らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0605

小坂城(千曲市)  

◆郭の背後の尾根に六段もの恐ろしき大堀切を持つ不可解な城◆

これからの季節の攻城戦は「草茫々」「藪茫々」「大量の虫さんコンニチハ」なので、しばらく遠慮するつもりだったが、「それでもチョッとだけ攻めてみるか・・・」(笑)

千曲市の城跡は未踏破な場所が多いので興味が尽きない。

で、今回ご紹介するのは小坂城。

小坂城 (71)

龍洞院のある場所からが大手道らしいが、ショートカットして長野自動車道の下を潜り抜けて西側の蟹沢から攻める。看板が出ているので道に迷う事はないが乗用車ではチト狭いのが難点だ(汗)


小坂城 (1)
蟹沢からの登城口。すでに恐ろしいほどの緑に目を奪われる。

突き当りで車を乗り捨てて攻城開始。薄気味悪い沢には矢竹と腰までの高さのある笹が群生している。

長野縣町村誌の桑原村の記載によれば次のような記載がある。


【小坂城】

本村(桑原村)戌の方十五町餘にあり。纍砦数個、其大なるもの東西二十間、南北十五間殘礎現存す。西北の方に七個の堀切存す。年代不明、保坂弾正義昌等之を守ると云ふ。此近傍陣ヶ窪、将軍塚、戌平池、ウシ池等あり。

小坂城 (5)

15分も登れば城域となるのだが、道は二段構えの石積みを構えた垂直に近い壁で閉ざされる。

そのまま登るのも面倒なので右斜面へへばり付いて腰郭へ侵入する。

小坂城 (8)
腰郭の石積み。土留めだったと思われる。

なんか、ヘンテコリンな城だなあー(笑)。藪を掻き分けて本郭に辿り着く。

皆さまには先に縄張図をご覧いただこう。

先に訪問された「あおれんじゃあ」様の縄張図を参考に小生が現地調査して再作成したものである。

小坂城縄張図②
長野縣町村誌が七本としている堀切は、確かに存在し、㋕~㋛までをさしているのであろう。

かなりデカイ本郭(29×46)に突入し、しばし休息する。

桑原地区の皆さんに大事にされているので整備されているのがわかる。ありがたい事です。

小坂城 (13)
南側からみた本郭。

ベンチに腰掛けて茶をのみ一服しながら説明板を良く読んだ(笑)

「んん??、縄張図が国土地理院の地形図とチョッとちがうような・・・・」 このことである。

小坂城 (14)
見易いようにデフォルメしたのだと思いますが。


さて、いっちょ遣っ付けますか。(爆)

ここからは写真オンパレードになりますので、ご容赦願います・・・・(汗)

小坂城 (20)
本郭北側の大堀切。上巾25m深さ15m。一瞬天然の沢と勘違いするくらいの壮大な規模。東斜面は何故か短い。

小坂城 (23)
堀切㋑と㋒。二重堀切と見ても差し支えないであろう。


小坂城 (31)
堀切㋕

本郭から北側の小坂山の尾根へは、一度左へ蛇行する。

大堀切から北へ二重堀切を穿ち、直線となる北への尾根の手前に堀切をさらに設けている。

ここから始まる六連続の大堀切はまさに「小坂城の謎」なのである・・・(笑)

小坂城 (33)
堀切㋖。上巾15m×深さ8m。

小坂城 (34)
二重堀切となる土塁手前の岩。あおれんじゃあ殿は岩門と呼んでいるが、まさに鬼門の様相である。

小坂城 (36)
上巾6m×深さ5mの堀切㋗。二重堀切の北側の堀切。

小坂城 (39)
堀切㋘。上巾30m×深さ6m。

圧巻なのは堀切㋙である。上巾30m×深さ10m。
そこまで掘るの??という凄さが感じられる。

小坂城 (41)
郭3の壁面。

小坂城 (42)
堀切㋙。東西の沢へ深い竪掘となり落ちている。

小坂城 (49)
五本目の堀切㋚。上巾20m×深さ8m。

正直なところ、これで終わりだと思った。

こんなデカイ堀切5本もあれば充分でしょ!

でもね、この城、何かに怯えてるように思えるのよ、何でかなあ~第六感(シックスセンス??)ってヤツ?(汗)

で、見つけたの、その奥に。

最終の堀切。

小坂城 (50)
堀切㋛。上巾6m×深さ10m。

凄いなあーこんな小城に六連続の・・・しかも大堀切。

小坂山の頂上方面に対する恐ろしく気弱で大胆な防御システム(爆)

赤沢城(塩崎新城)は指呼の先にあり、その先には塩崎城。

信更や大岡へ向かう往時の古道における交通の要所を抑えた場所である。

小坂城 (53)
小坂山山頂へ続く尾根。頂上は見張り砦だったという。

はて、やや広めの単郭の城の背後の尾根に異様な大堀切を連続させた意図は何か?

小坂城の南東には竜王城や佐野城なる砦もあり赤沢城・塩崎城との中間地点としての連携が想定される。

小坂城 (58)
大手口方面には石積みが確認出来る。

武田時代に保科氏が守り、武田氏滅亡後は上杉景勝に従ったというのが定説らしいが、千曲市のHPでは、この地を領有していた桑原氏が塩崎氏に名前を替え、屋代氏と供に武田に降り、武田滅亡後も屋代氏と行動を同じくして屋代氏が景勝に叛いた時も同調したのではないか・・としている。(あくまでも推測としているようだが)

なるほど、そういう見方もある。

屋代氏の守る荒砥城方面への退路として小坂城を「最後の砦」とするなら、北尾根に築いた執拗な大堀切は北方の最終防衛ラインと見る事が出来るかもしれない。(妄想であるが・・・笑)

小坂城2 001
長野縣町村誌にある龍洞院と小坂城の図。かなり特徴を捉えた秀作である。


主郭から山麓の集落に至る尾根には竪掘一条しか確認出来ない。

山の上から下って来る敵を想定した砦。謎は深まるばかりである‥‥。

小坂城 (74)
城跡は視界不良なので、蟹沢登り口から見た上山田・坂城方面


≪小坂城≫ (こさかじょう)

標高:570m(主郭) 比高:150m(龍洞院より)
築城年代:不明
築城・居住者:桑原氏、保科氏、塩崎氏(?)
場所:千曲市桑原小坂
攻城日:2012年6月3日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:15分(蟹沢登城口より)
見どころ:全部で10本ある堀切、主郭周辺の石積みなど
その他:案内看板が出ているので、迷う事はない。
参考文献:長野縣町村誌など

小坂城 (76)
山麓から見た小坂城









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Posted on 2012/06/05 Tue. 17:00 [edit]

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