らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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木曾殿屋敷(長野市)  

◆朝日山=朝日将軍=木曾義仲という安直な発想?◆

貴族や皇族の「番犬」という低い地位にあった武士という身分を引き上げた平氏の功績は素晴らしい。

しかし、受信料を返せとは言わないが、某国営放送の「平清盛」は一度も見たことが無い(笑)

何をどう間違えたか分からないが、武家の将来のビジョンが描けず自暴自棄になった清盛は皇族になろうとしたのである。

その後、奢る平家を打倒し、武家政権を確立するために遁走した第一走者の源義仲(木曾義仲)は、紛れも無く先頭ランナーの責務を果たしたのだが、後世の評判は酷いもので「信州の田舎侍(いも侍)」である‥‥(汗)

小柴見城 (38)
木曾殿屋敷跡。生憎の雨と強風だったがロケーションは素晴らしい。

そうは云っても義仲公は信州を代表するヒーローである。

彼が関連したという伝承を持つ場所は県内にも多くあり、この屋敷跡も木曾殿屋敷と呼ばれている。

長野縣町村誌の安茂里村の項には以下のような記載がある。


【朝日氏邸址】

本村の東北の方字木曾殿屋敷地にあり。東西二十間、南北二十六間、現今民有畑に属せり。里俗傳に古時年暦不詳、鎌倉府の時 志水冠者義高の舎弟某本村に潜居し、其裔朝日右近村上氏に属すと云ふ。
一に甲越戦争の頃、小柴見宮内子朝日右近あり、里老の口碑に、本村の内平柴を領すと云ふ。事跡不詳。

木曾殿屋敷縄張図

場所は小柴見城と大黒山城の中間地点で、諏訪神社の南下を東へ入ったところにあり現在はりんご畑である。
現在も井戸があり、建物の土台礎石も発見されているので、屋敷跡には間違いないようだ。

小柴見城 (39)

朝日将軍義仲との関わりは不明だが、それなりの人物の邸宅または南北朝時代には小笠原政康の守護所があったと思われ、見晴らしも最高である。

どうしても旭山城ばかりが目立ってしまうが、旭山の城館である小柴見城、木曽殿屋敷、大黒山城もこの山における主要な軍事施設だった事は記憶に留めておきたい。(ってか残り二つの場所の記事はいつ書くの?‥笑)


≪木曾殿屋敷≫ (きそどのやしき 朝日氏邸)

標高:490m 比高:150m(小柴見集会所より)
築城年代:不明
築城・居住者:小柴見氏
場所:長野市平柴
攻城日:2012年6月9日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:0分 (道が狭いので路駐厳禁、神社の駐車場をお借りしよう)
見どころ:見晴らし
その他:りんご畑は許可無く入らないように。
参考文献:長野縣町村誌、長野郷土史研究会機関誌長野第110号

葛山城跡 025
葛山城から見た旭山城。まあ、有名な城跡はそのうちアップします‥‥(笑)

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Posted on 2012/06/10 Sun. 15:00 [edit]

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