らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0623

堂城山砦  

◆城館一体型の中世城郭の見本◆

どうしても松代周辺の川中島城館群が脚光を浴びるのは仕方ないが、往時は千曲市(旧更埴市・戸倉上山田町)周辺も古道の要衝として数多くの城館や砦が築かれた場所である。

旧羽尾村(現在の千曲市羽尾)には「堂城」、「中院林城」という南北朝時代に築かれたと思われる古い山城がある。

で、今回ご紹介するのは地元で堂城山と呼ぶ小高い丘の頂上(比高461m)にある「堂城」

堂城山砦 (1)
尾根の東端にある瘡守神社が登り口。なんか最近鳥居の写真多いなあ(笑)


長野縣町村誌の羽尾村では下記の記載がある。


【堂城】

村の亥の方堂城山の嶺上にあり。一平地にして東西六間、南北七間あり。東へ二間下りて一段あり。東西十間、南北八間。明治五年土を穿ちて一瓶を出す。又中に瓶あり、唐銭卅銭、唐鏡三面、小石一つあり。又太刀の折六寸許小太刀の折及び小瓶二つ出たり。

等高線で30mほど上がると平地となるが、そこは郭ではないものの石祠がある。

堂城山砦 (5)


まあ、熊笹と雑木林に囲まれて郭の確認作業も大変である。

おまけにジメジメしている・・・縄張図を無理に作ると以下であろうか。

堂城山砦縄張図②

郭三個と堀切一条。様式も古く早い段階で捨て置かれたのであろう。

堂城山砦 (8)
郭2(25×15)


山頂部が本郭である。郭2から一段上がるのだが、神社跡に改変された痕跡があり石段がある。

堂城山砦 (7)


堂城山砦 (10)
本郭の北側は矢竹林に覆われていて何が何だか・・・。


城主城歴についての文献は全く無いのでその素生を知ることは出来ないが、付近に「花族」と呼ばれる御所跡があるらしい。

そこは文中年間に村上左馬助義次が後醍醐天皇の皇子寛成王をこの国に奉じて御座所を作り移らせたという里伝があるので、早くから村上一族が治めていたのであろう。

堂城山砦 (11)
主郭背後の堀切。かなり埋もれている。

山麓にある明徳寺が居館跡であり、堂城は戦闘時における城という「城館一体型」である。

堂城山砦 (14)
三の郭方面。1m以上ある熊笹が鬱蒼と生い茂り歩くのもやっとでございます。


比高も低く山頂も狭いので要害性には乏しく早いうちに放棄されたと見るべきか。


堂城山砦 (13)
城跡からは対岸の屋代城(一重山城)が見える。ズーム5倍。


今回は行かなかったが、堂城の南東800mには中院林城があり最終的な詰城はそこだったのであろう。


堂城山砦 (22)


堂城山砦 (26)
居館跡の明徳寺。右手奥の小山が堂城。



≪堂城山砦≫ (どうじょうやまとりで 堂城)

標高:461m  比高:60m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:千曲市羽尾
攻城日:2012年6月17日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:10分
見どころ:堀切、郭
その他:明徳寺も館跡なので周辺の探索も面白い。
参考文献:長野縣町村誌など

堂城山砦 (21)
明徳寺の裏から見た堂城全景。新緑が眩しいが遺構は乏しい??







スポンサーサイト

Posted on 2012/06/23 Sat. 08:35 [edit]

CM: 8
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top