らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0728

善正城(北佐久郡 立科町外倉)  

◆箱山判官国正の弟、善正の居館と伝わる館跡◆

宮坂武男教の信者としての聖地巡礼の城攻めは大変である・・・(汗)

神の聖域というよりは、神の目くそ鼻くそ耳くそに届くのか?という低次元の有り様である(笑)

小生の拙いブログを頼りに聖地巡礼をしている方もいらっしゃるようなので、無駄死ににはならないかー(爆)


で、今回紹介するのは立科町シリーズ第二弾「善正城」(ぜんしょうじょう)

善正城 (1)
現在中谷家の墓所となっている本郭跡。


「ええーっ、また平地の城館巡りへ逃げるの?」  全くその通りである(笑)

このクソ暑い夏に熱中症のリスクを冒して藪の写真を撮るなんて愚の骨頂でしょう。

里山での遭難は避けたいし、地元住民の迷惑も考えないといけませんネ・・・(爆)


善正城 (6)
本郭北側の切岸。耕地整理で綺麗になっちゃってます。


この場所から北へ約3kmの場所に箱山城がある。

この館は箱山城主で箱山判官国正の弟の善正が主だったと伝わる。
箱山氏は依田系芦田氏の一族あるいはその家臣だったというが、確かな伝承は無く不明である。


善正城③
箱山城と善正城の位置関係(国土地理院1/25000地図を転載)依田窪と上八重原の台地の境にある事がわかる。


「長野縣町村誌」では「立の尾先に作られた城で、主郭は東西四十間、南北三十五間の規模で、三面に土塁がある。主郭と一条の堀を隔てて、二の郭があり、また一条の堀がある。そこは今林となっている」


善正城②


水田の区画整理により、郭の周囲は整然とした様相を呈している。

ここに往時の縄張りを見るのは難しいのであろうが、方形の城館跡だったということが残された僅かな遺構から確認出来るようだ。


善正城 (12)
郭2と中央を仕切る堀切跡。


善正城 (5)

土塁も破壊され、耕地整理による改変でどこまでが城域だったのか断定は出来ないが、戦国初期の信濃の諸城館に見られるオーソドックスな手法だったと思われる。


善正城 (8)
主郭の東側の郭跡。


≪善正城≫ (ぜんしょうじょう)
 
標高695m 比高10m
築城年代:不明
築城・居城者:箱山氏
場所:北佐久郡立科町牛鹿外倉
攻城日:2012年7月22日
お勧め度:★☆☆☆☆
見どころ:本郭跡と周辺の郭
その他:付近には倉見城、芦田城、蟹原城
参考文献:「図解 山城探訪 第八集 佐久北部資料編」(宮坂武男著)





Posted on 2012/07/28 Sat. 21:38 [edit]

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