らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0701

青柳城(筑北村 リバイス)  

◆あれから三年経ちましたあー、祝!三周年記念◆

山の上にも三年ってか。(えっ、石の上の間違いでしょ…笑)

「らんまる攻城戦記」がスタートしたのは2009年7月26日の事である。

意気揚々と始めたまでは良かったのだが、誰も見てくれる人も無く正直なところ挫折しそうな日々でした(汗)

青柳城② (9)


ブログで大切な事は継続することなんですね。

飽きっぽい性格でよくぞここまで来たものだなあーなんて思ってます(笑)

ご来城頂いた皆さまに感謝感謝でございます。

で、今回は第一号で掲載した青柳城のリバイス編。

遠路はるばる信濃までお越し頂いた武蔵の五遁様とお仲間のM様」との共同戦線の攻城戦です。

青柳城見取図②
真面目に縄張図を描くとこんな感じ。


最初に攻めたのが2009年4月26日なので三年ぶりである。

四阿屋山(あずまやさん1385m)の西北西の長さ300mの細尾根上にあり、標高は905m。

眺望絶佳の城として、また戦国末期まで改修され続けた中信濃を代表する連郭式の山城である。

青柳城② (64)
本郭からの大岡口方面の眺望。この城の立地条件の素晴らしさが良く分かる。


小生の山城攻城戦のスタートは2008年8月15日(何故か終戦記念日?)の松尾城からだと記憶しているが、青柳城を紹介していた城と古戦場~戦国大名の軌跡を追う~のHPに触発されて訪問した。

この城を見なければ中世城郭への興味など続かなかったと思うし「らんまる攻城戦記」も無かった。

キッカケとは単純なものである(笑)

「城と古戦場」の管理人マサハレ様には、その後も励ましをいただいたり小生の拙いブログをHPで紹介頂くなど支援していただき、この場を借りてお礼申し上げる次第でございます。


青柳城② (62)
本郭(52×12)。周囲は総石積みだったと推定される。


さて、この青柳城だが現在の姿は小笠原貞慶氏時代の最終形である。

青柳氏時代、武田氏統治時代の姿はどだったのだろうか?縄張りと郭や堀切の加工度から妄想するしかない(笑)


【青柳氏時代】

現在の郭1・2・3だけの単純構造で郭の周囲を土塁で囲み、現在も残る1と2の間の高土塁程度の防御だったと推察される。

青柳城跡 041
復元された冠木門は郭3に位置している。

現在、山麓にある清長寺が青柳氏の居館跡とされるので城への登り口は郭3に接続する。そこが大手道であろう。

北と西は急斜面なので攻めるには難しく籠城の際は南の沢と尾根筋さえ守れれば良いと思われる。


【武田氏統治時代】

天文二十二年(1553)この地を手に入れた武田晴信は川中島攻略の前進基地として大規模な改修を行ったと考えても良いのではないだろうか。

南東へ伸びる尾根に郭4・5・6を増設し㋗~㋒までの七本の堀切を穿つ事で城の弱点を補い防御を高めたと考えられる。

青柳城② (51)
郭4(18×10)

青柳城② (50)
郭5へは堀切㋘に土橋を通して入口を土塁で迫り上げている。

ここで疑問が生じる。

郭5の背後は間違いなく二重堀切なのだ。(縄張図の堀切㋗)郭6は接続用の郭と考えて堀切㋗を最終としていた形跡が感じられるのだ。(あくまで想像なのだが…)

青柳城② (48)
郭5の背後は高土塁を施し背後を二重堀切にしている。


青柳城② (47)
深さ・上巾ともに申し分無い二重堀切。


青柳城② (45)
藪で見づらいが南斜面に竪掘りとしてかなりの長さがあるようだ。


青柳城② (39)
郭6(15×6)。この城の搦め手方面最後の郭。


青柳城② (37)
上巾12の堀切㋖。竪掘りとして南の沢で堀切㋗と繋がる。


第一次川中島合戦の勃発する天文二十二年は、麻績城・青柳城ともに武田VS上杉の激戦地となり凄まじい争奪戦が繰り返された。
両軍ともに火攻めの戦法を用いたというから、往時は禿山となっていたのかもしれない。



【小笠原貞慶時代】

搦め手の最終にある巨大な二重堀切㋒と㋓を武田氏時代のものか小笠原貞慶時代のものかの判別は難しい。

少なくとも竪掘㋐と㋑は小笠原時代であろうし、二重堀切を沢へ向けて長大な竪掘としたのは小笠原氏による改修の跡とみても良いような気もする。

青柳城跡 023
上巾15m深さ15mの堀切㋒。


青柳城跡 021
堀底に土塁を迫り上げた二重堀切。


青柳城跡 024
堀切㋓は上巾30m。現在階段となっている傾斜地も堀切の一部である。


青柳城跡 017
竪掘㋐。下っていくと途中から堀切㋑が北側に出現する。


青柳城② (70)
本郭北側を下ると堀切㋙がある。後から造作したものであろう。



武田氏滅亡後、天正壬午の乱が勃発すると、再び青柳城と麻績城は旧領回復を企む貞慶さんと深志方面への領土拡大の野心に燃える景勝さんの草刈り場となり戦禍に巻き込まれる。


青柳城② (57)
現在本郭の北側のみに残る石積み。小笠原氏による改修の跡であろう。


青柳城跡 060
麻績古城(虚空蔵山城)・麻績新城方面


青柳城跡 058
生坂村方面。


こののどかな山間の田園地帯が、戦国時代には骨肉相争う場所だったとは想像も出来ないが紛れも無く事実であっった。

中世城郭の貴重な遺構が数多く残されており、これから山城巡りをされる方も既に始めている方も幾度となく訪れて頂きたい推奨の史跡である。

今回ご同行頂いた武蔵の五遁様、Mさん、ありがとうございました。



≪青柳城≫ (あおやぎじょう 県史跡)

標高:905m  比高:230m(清長寺より)
築城年代:不明
築城・居住者:青柳氏、武田氏、上杉氏、小笠原氏
場所:千曲市羽尾
攻城日:2012年6月23日 (初訪:2009年4月26日)
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:5分 (城山山頂駐車場より)
見どころ:堀切、郭、土塁、土橋、石積み、
その他:周辺には城跡が多く点在するのでセットで見るのも良いでしょう。
参考文献:「図解山城探訪第五集 松塩筑資料編」


青柳城跡 075
北側から見た青柳城。




ブログ三周年記念特別号、如何でしたでしょうか。

長すぎる??(笑)

これからも宜しくお願い申し上げます。
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Posted on 2012/07/01 Sun. 14:06 [edit]

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