らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0702

痛恨の極み  

◆覆水盆に返らず◆

おかげ様で「らんまる攻城戦記」は三周年を迎えたのだが、未だにデットストックで記載出来ないメジャー級の城がある。

千曲市にある屋代城である。

この城跡が森将軍塚古墳の犠牲となって破壊された城跡である事を記載しているのは北緯36度付近の中世城郭の管理人であるあおれんじゃあ殿と城と古戦場の管理人マサハレ殿ぐらいであろうか。

長野県の中世城郭の調査は他県に比べるとかなり劣っていると思わざるを得ない。

高速道路や新幹線の整備開発事業に伴って仕方無く発掘調査しているという有り様で、長野県民としては情けなくなる次第である・・・(怒)

昨日、図書館で調べ物をしていたら偶然にも以下の書物を発見した。

yasiro01.jpg


早速借りて読み漁ったのは云うまでも無い(笑)

昭和四十五年、高度成長期の真っただ中で森将軍塚古墳の周辺(屋代城の隣の尾根)は土砂砕石が活発化し、古墳崩壊の恐れがあった。

住民の古墳保存運動で更埴市(現在の千曲市)の住民の90%以上が署名を集めて古墳周辺の土砂砕石の収集は中止となった。

その代替地となったのは一重山(屋代城跡)である。


tumikusa (3)
長野道の姨捨SAから見た一重山。


当時の住民の屋代城に対する意識は低く、その結果として本郭の南側120mの尾根は完全に破壊され消滅しこの世から姿を消したのである。


経済優先の行政の手腕とは、そんなものである。

幸いにして、昭和四十六年に識者から文化財に指定されてそれ以上の破壊は免れたのである。

破壊前には大小6本の堀切と郭が存在したという。

もう見る事は叶わないのだが、国土地理院の昭和二十二年航空写真では、その跡がクッキリ写されている。

yasiro031.jpg


残念ながら主郭の南側の馬の背と北の郭群の連接部を破壊されてしまった屋代城跡ではあるが、三年ぶりにちゃんと調査して残った遺構から推察する記事を書いてみたいと思った次第であり、予告編です(笑)

いつになるやら・・・・(汗)屋代城跡 018
屋代城の本郭跡。

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Posted on 2012/07/02 Mon. 21:51 [edit]

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