らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0709

青柳宿(善光寺西街道 筑北村 )  

◆犬が一匹もいない不思議な宿場町◆

ネタが尽きた‥というのもあるが、「夏場の攻城戦はちっともワイルドじゃないぜえ~」と悟ったのである(笑)

山々の葉っぱが落ちる10月末までは、お遍路さんの如く古道をひたすら歩く旅人になりたいと思ったのである。

戦国の城を語るには、往時の古道(街道)を踏破してこそ真髄に迫るのだという変な哲学である(爆)

今回シリーズ初登場するのは善光寺西街道の「青柳宿」。

青柳宿 (1)

JR篠ノ井線の坂北駅を下りて道沿いに南に歩くと、青柳集落方面への分岐点となり東へ折れる。

青柳宿 (2)

道路脇には立派な案内看板があるし、散策マップも置いてあるので道に迷う事はないだろう。

説明によれば

「江戸時代の北国西脇往還(善光寺街道)の会田と麻績の中間の宿、戦国時代に青柳氏が長田地籍から居館をこの地に移してから後に出来た宿である。慶長年間(1596-1615)松本城主小笠原秀政の時代に整備された。
元禄十一年(1698)には東西五丁二十八間(約600m)で家数は八十六軒を数えた。慶長十二年(1607)の「金伝馬割」には、佐渡の金を運ぶ伝馬の割当が記載されている。
宿継ぎの荷物は善光寺平からたばこが、松本平からは茶荷が多く送られたとされ、当時の交通の要所であった。」


青柳宿①
↑良く出来た地図で称賛に値するマップ。昨日かららんまる屋敷の家宝に指定さている。


そういえば「青柳城」ってどこかで聞いた気がするが、気のせいかもしれない・・・(笑)


当時の宿場町の面影を探すことは難しいのだが、石垣で組まれた土台の家屋が多く存在するのは驚きである。

青柳宿 (4)
今も残る石垣を貫通する石組水路。


石組み水路とは??

「青柳の屋敷は敷地が狭く、急斜面のため石垣の上に建てられた家が多く、その石垣の下を水路が通っているのは他の宿場には見られない際立った特徴である。
朝の洗面を始め生活用水、牛馬の飼育、潅漑用水などに幅広く用いられた」

青柳宿 (5)


なるほど、青柳城の石積みの技術の集大成って訳ですな(笑)

青柳宿 (7)
ほとんどの家屋が石垣の基礎ってのは凄い。


青柳宿 (20)
集落の東側にある清長寺。青柳氏の菩提寺でもあり、青柳氏滅亡後も小笠原氏の城代の屋敷跡だったという。


そんなわけで、清長寺は城館シリーズでそのうち紹介されると思うので割愛する(爆)


青柳宿 (26)
居館跡から見た青柳城。溜息ものでございます。


で、肝心の「犬のいない村」の真相ですかあ?

青柳宿を守る御神体は「狐様」でございます。

里坊稲荷山は「おじょろさま狐」と呼ばれてるし、十二原には「うたの助狐さま」、天神山には「三平狐さま」がいらっしゃる。

狐様を神と崇めるので犬は邪道でございます。村の代々の掟は、狐さまの嫌いな犬は飼わないという厳格な掟。

なので愛犬家の方は、青柳宿を見学される際には犬を集落の外に繋いでおきましょうネ(汗)


青柳宿 (29)

この宿場町の名物はもうひとつあって「切通し」

この切通しは、天正八年(1580)に青柳伊勢守頼長が切り開いたとされ、江戸時代から近世にかけて拡張工事が行われたという。


青柳宿 (32)

切通しの上部はノミによる手作業で削られた跡であり、下部は近年の削岩技術らしいが、「近年工事のヘタクソ!」と叫びたくなる有り様でございました(笑)

この道路が貫通したことで物流の交易が飛躍的に拡大したと記されていますので、現代人の感覚では戸惑うばかりでございます。


最後に訪れた硯水寺は、青柳氏三代の菩提寺としてお墓があるようです。

青柳宿 (39)


狐様の祟りを恐れるあまり、墓場の写真撮影は遠慮しましたあー(笑)

「今日はここの旅籠に泊って、明日は麻績を抜けて猿ヶ馬場を越え桑原へ行きますか、助さん格さん・・・」

水戸黄門様の声が聞こえそうな閑静な宿場町ですネ!!(爆)


【青柳宿】

取材日:平成24年7月8日
場所:東筑摩郡筑北村坂北青柳 坂北駅より徒歩15分。
漫遊時間:40分
見どころ:石垣用水路、切通し、常夜灯、青柳氏居館跡など
注意事項:犬連れはヤバイでしょう。












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Posted on 2012/07/09 Mon. 23:47 [edit]

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