らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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萩の館(上田市 真田町傍陽萩)  

◆洗馬城の麓にある居館跡◆

猫の額ほどの狭い土地にこれだけの城館や山城を張り巡らした場所も希有であろう。

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弥六城、猿ヶ城、遠見番所、大日向の屋敷を加えると20の拠点となる。


「一生懸命」という言葉の語源は鎌倉時代の武士が幕府から授かった所領に執着していた事を示す「一所懸命」であると記憶している。
先祖代々の土地への執念という農耕型の概念を捨てて放牧民族の思考に脱皮したのが織田信長であろうか。

そういう意味では真田氏は先祖の土地に執着しているように見えるが、故郷を追われた者が再び自分の領地に戻れた時の喜びは格別であったに違いない。

特に北信濃の豪族のほとんどが信玄により駆逐され、上杉の配下に組み込まれようとも何時かは帰れる日を待ちわびていた。その望郷の念とはいかほどであっただろうか・・・。

萩の館 (1)
傍陽小学校のプールの北側あたりが萩の館跡と推定されている。


真田氏の出自と経歴については謎が多い。

大抵の場合、勝者や侵略者により負けた側の土豪や豪族らは記録を抹消されるか都合の良い部分だけを残される傾向にあるのだが、眞田氏は自らその出自と経歴を闇に葬り去り改竄したのではないか?という疑念が消えない。


萩の館(堀の内の館)は洗馬城(せばじょう)の東麓で、現在の傍陽小学校の北側あたりと推定されている。

萩の館

この場所は往時の交通の要衝にあり、北へ向かえば菅平に通じその先は須坂方面となる古道があり、西へ向かえば地蔵峠を越えて松代へ入る。

中世以前には真田氏(実田氏)が牧場経営を行い勢力を拡大していった場所であるとも想定されているので、重要視された場所には違いないと思われる。

萩の館 (2)
北側から見た居館跡。現在は水田となり明確な遺構は無い。


居館跡の東側には水路もあるので、この辺りを居館跡と推定するのは理解出来る。

ここから北へ2kmほど進んだ下横道には「横道の館」の推定地がある。

「小縣群史(大正十一年)」によれば、真田郷一帯は「洗馬地方」と表記されている。

戦国時代には洗馬城とこの城館に誰が入り守っていたかは不詳であるが、真田氏の祖先に深く関わる一帯であり西への重要拠点として身内が守っていたのではないだろうか。

萩の館 (6)
居館跡から見る洗馬城。


≪萩の館≫ (はぎのやかた 堀の内の館)

標高:697m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市真田町傍陽字萩
攻城日:2012年8月5日
お勧め度:★☆☆☆☆
館跡までの所要時間:-
見どころ:-
その他:洗馬城はセットで見学。プール付近での撮影は間違いなく通報されるので注意(笑)
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」


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Posted on 2012/08/11 Sat. 11:24 [edit]

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