らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鍋蓋曲輪 (東御市八重原)  

◆楕円形の奇妙な陣城跡◆

普段は何気に通る営業ルートなのだが、「えっ、ここ城跡なの?」と云われて愕然とした。

なるほど航空写真を見ると奇妙な形をしているし、水田に囲まれた田園風景に異様な少数集落が存在する。

鍋蓋曲輪 (3)
集落の北側に残る石祠と説明板。


鍋蓋(なべぶた)という地名は、武田軍が出立のあとに鍋の蓋が置き忘れられていたという伝承があり、あるいは地形そのものが鍋の蓋の形をしているからとも云われている。

鍋蓋曲輪見取図


説明板によれば、天文年間の上田原合戦へ向かう武田信玄がこの場所に陣営を張り戦に備えたと云う。
集落の北には石祠が二つあり、信玄公を祀ったものらしい。

鍋蓋曲輪 (6)
祠手前の石板には信玄公の馬の蹄の跡があるというが??である(笑)


また、天正十三年あるいは慶長五年に徳川軍が真田攻めの際にも滞陣したと伝わる。

特に要害な場所でもなく見晴らしも良くないし「なんでだろう」

鍋蓋曲輪 (7)
曲輪の中心はなだらかな丘という感じ。周囲との比高差は5m程度。


まあ、察するにもともと何らかの屋敷があり、周囲に楕円形の堀を巡らしてあった場所を武田軍や徳川軍が一時的に宿所として利用したのであろう。

鍋蓋曲輪 (2)
道路の周囲は堀があったのだろうか?(曲輪の東側)

現在約10軒の依田宅がある。

周囲は耕地整理により整然とした水田が広がる中で、この場所だけ珍しい景観を保っている。

鍋蓋曲輪 (8)
東側の入口より見た鍋蓋曲輪。

伝承とともにいつまでも残したい故郷の風景である。


≪鍋蓋曲輪≫ (なべぶたくるわ 鍋蓋砦)

標高679.3m 比高5m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:東御市下八重原
攻城日:2012年8月12日
お勧め度:★☆☆☆☆
見どころ:景観
その他:付近には外山城


鍋蓋曲輪 (9)
西側からの鍋蓋曲輪遠景。水田の緑が眩しい。





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Posted on 2012/08/14 Tue. 08:51 [edit]

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