らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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一丁田城 (東御市下之城八反田)  

◆バイパス工事で破壊された下之城居館の北の見張り砦◆

「平地の城館ばかり記載している・・」と読者の皆さまにはお叱りを受けそうだが、平地の中世城郭遺構は壊滅的な打撃を受けているので、早く調査しないと後悔ばかりが残るのである。

先日も丸子にある「中城」(飯沼氏の居館跡)へ取材に出掛けたのだが、住宅分譲地で城館跡は破壊されて貴重な本郭の土塁と虎口は見事に消滅していた・・(怒) 

もう二度と見る事は叶わないのである(悲)

今回ご紹介する一丁田城(いっちょうだじょう)も数年前までは辛うじて遺構があったのだが、バイパス道路の造成で3の郭と切岸を失い、連絡用の道路建設で堀の一部が消滅した。

一丁田城見取図

上田市の教育委員会も東御市の教育委員会も何をしているのだろう?

長野県の埋蔵文化財に関わる担当者も所詮お役所仕事なのか??

地主さんだって、そこが貴重な遺跡の跡だと教えてもらえるなら、緊急発掘調査には協力してくれるはずだ。

中世城郭の遺構保護に関しては恐ろしいまでに遅れている事を認識して頂きたいのである(汗)


一丁田城 (4)
八反田公民館の付近が郭1になる。東側の民家も城域なのだがプライバシーに考慮して公開は控えます。

城主・城歴は不明であるが、すぐ南側には望月氏の初期の居館跡である下之城館があるので、北の守備を受け持っていたと思われ、一族が詰めていたと思われる。


城域の南側は「すもも沢」と呼ばれる八反田川の天然の沢を堀とし、北側も自然地形を利用した砦である。
現在倉庫の建つ郭2が主郭と考えられるが、その先の郭3はバイパスの造成工事により消滅してしまった。

一丁田城 (6)
城域の南を遮断するすもも沢。公民館は郭1と郭2の段差を利用した奇妙な建物である。

一丁田城 (7)
城域北側。連絡用道路の増設でさらに破壊され切岸も消滅している。


鹿曲川(かくまがわ)の流域の古道は、望月氏が本拠地を下之城館から望月城へ移した後も北側からの侵入に備えて監視下に置かれたものと思われ、下の城(下之城館)と共に機能していたのではないだろうか。

一丁田城 (9)
郭2の西方面。

一丁田城 (1)
コンクリート壁で囲まれた城館跡(郭2)

全く余談なのだが、小生の母親の実家は望月町だった。(現在の佐久市望月)
ガキの頃は毎年八月十五日の榊祭り(日本三大火祭りとして有名)には、上田からバスでこの街道を通り祖母の家に向かった。

親戚中が一同に会して飲めや歌えやで大騒ぎのお盆は、そんな大人は捨て置いて僅かな小遣い銭を握りしめて、従兄同志で夜店に繰り出して楽しんだものである(笑)

東部町の田中から望月町へ向かうバス停の名前は今でも暗記している。(最後のバス停は おとや橋)

八反田もその一つだった。

あれから四十年以上経つのだろうか。この街道は通る度に懐かしい思いに包まれるのである‥…。

≪一丁田城≫ (いっちょうだじょう)

標高:575m 比高:20m
築城年代:不明
築城・居住者:望月氏(?)
場所:東御市下之城八反田 (八反田公民館)
攻城日:2011年8月12日 
お勧め度:★☆☆☆☆
所要時間:-
見どころ:堀切、郭跡
その他:下之城館跡も見学しましょう。
参考文献:「図解 山城探訪第八集 佐久北部資料編」


ありがたい事に、写真版はバイパス開通前の往時の状態を見る事が出来る。
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Posted on 2012/08/16 Thu. 22:31 [edit]

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