らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0818

中城 (上田市生田飯沼)  

◆分譲住宅地により壊滅的打撃を受けた飯沼氏の居館跡◆

実はこの城館跡、数年前に一度攻めたのだが、下調べもせずに突撃したので遺構が特定出来ずに放置していた・・(汗)
市内だし、いつでも行けるから・・・・この事が痛恨の極みとなる。

新築住宅の並ぶ城跡に愕然として言葉を失う。時すでに遅しとは、この事である(悔)

中城 (1)
東方面から見た中城跡。高台に新築住宅が並び護岸工事によるコンクリートが周回している。


愚痴っても仕方ないので、気を取り直して残存する遺構を探してみる(笑)

「小縣郡史」(大正十一年)によれば、城跡として以下の記載がある。

「中城は一に飯沼城ともいひ、依田村生田區飯沼組字中城にある平城なり。東南及び東は河成段階をなして依田川に面し、西北及び西には濠の跡あり。郭は今本郭と東郭との二を見るべし。里傳に中城の西字四丁町等は城市の名殘といふ。又、御所といへる地は舊邸跡といへり。本郭の一隅に弥勒堂あり、城の鎮守といひ。字深町の八幡社は飯沼氏の名殘なりといへり」


中城見取図
河岸台地を利用した縄張りであることがお分かり頂けるであろうか?

図で示した郭の1,2,3,4は最近まで耕作地だったが、分譲住宅地造成により破壊されてしまった。

中城 (2)
城域東側の郭の護岸壁。小学校に続くヒドロッ田と呼ばれる段丘下は泥田堀だったと云われる。


この地方の領主であった依田実信は治承四年(1180)九月、木曽義仲の挙兵の時、木曽義仲に依田城を譲って、自分は高築地の居館に移ったと伝えられる。実信の子の信行の弟が飯沼に移り、飯沼太郎と称して中城主になったと云われる。

中城 (9)
郭1と郭4は石塁による食い違い虎口があったのだが、見事に無くなってしまった。


中城 (8)
郭2及び郭3は戸建て住宅により壊滅。


中城 (13)
御所と呼ばれている郭4。これ以上の破壊は勘弁してもらいたい。


城域の北側はかなり広い堀が往時の原形を留めている。水量の豊富な川が流れており水の手には困らなかったと推察される。


中城 (4)
広いところでは巾20mに達する堀切㋐。天然の河川敷を利用してある程度加工したと思われる。


中城 (7)
郭4の背後の堀切㋑。現在は通路になっているが、往時は堀切だったことが分かる。


中城 (19)
城域の最終防衛ラインだった堀切跡。


その後の飯沼氏の去就については不明な点が多い。
そして中城が戦国時代にあってどのような経歴を辿ったのかも謎である。

だからと言って、貴重な中世城館跡が破壊されていくは実に残念であり惜しい事でもある。


≪中城≫ (なかじょう 飯沼城)

標高:504m 比高:7m
築城年代:不明
築城・居住者:依田氏(飯沼氏)
場所:上田市生田飯沼
攻城日:2012年8月14日
お勧め度:★★☆☆☆
館跡までの所要時間:-
見どころ:堀跡、郭跡
その他:民家が密集しているので写真撮影には充分注意のこと。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」

中城 (16)
説明板があるなら、もっと遺跡の保護に取り組むべきだろう。



ここの航空写真も住宅開発前の景色を見る事が出来る貴重なものである。






スポンサーサイト

Posted on 2012/08/18 Sat. 21:10 [edit]

CM: 4
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top