らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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北国街道 上田~屋代編②  

◆芭蕉も更科紀行で訪れたという坂木宿◆

鼠宿を過ぎ、しばらく国道18号線を歩く。

13日の入盆という事もあり国道はかなりの渋滞である。(ってか墓に祖先迎えに行かなくていいのか?)

北国街道① (19)
国道から見た和合城。冬ならこの位置からも大堀切が見えるが、夏場は何が何だか・・・(笑)

途中から旧道に入り静寂を取り戻す。

滝のように流れる汗に、水分補給が追いつかない有り様である。

北国街道 鼠宿~中ノ条

道中で「玄古たばこ」の碑を発見する。

明治時代までは坂木宿特産のタバコのブランドだったという。

坊主がタバコの考案者?? 聖職者が罪作りを重ねたということか。

北国街道① (22)
煙草のお供え物も無いとは寂しい(笑)


しばらく旧道を歩くと西念寺というお寺がある。

「身にしみて 大根からし 秋の風」

貞享五年(1688)八月十五日に姨捨の名月を堪能した松尾芭蕉は十六、十七日と坂木宿の宮原邸に招待され、この地方の名産品である辛みの強い「なかんじょ大根」をおしぼりうどんで食してこの句が詠まれたという。

北国街道① (27)
西念寺前にある芭蕉の句碑。


翌日、芭蕉は善光寺に詣でて江戸への帰路についたというが、カルチャーショックだったであろう・・(笑)


西念寺を出ると近くに中之条陣屋稲荷社がある。


明治維新で陣屋が取り壊され稲荷社も解体される運命にあったが、地元の方々の懇願で残されたのだという。

廃仏毀釈、文明開化などと浮かれていた世の中にあって、地方の庶民は神仏のご加護を忘れなかったのである。

北国街道① (34)

街道を進むと「堂叡山道」(どうえいざんどう)なる分岐点の道標がある。

御嶽講信者の崇拝していた堂叡山(大道山 標高1298m)への登山道がここから始まるようだ。

古道の芝峠から縦走出来るらしいが、今回はパスした・・(汗)

北国街道① (37)

御所沢と呼ばれる地籍には、南北朝時代に南朝に味方した薩摩氏の館跡と北条城(推定)がある。薩摩氏の逃亡後に村上氏が居館を置き、後に満泉寺に屋敷を移したと云うが、確証は無い。

北国街道 坂木~横吹


北国街道① (42)
田町十王堂には村上義清公の墓所がある。


北信濃の豪族の盟主として最盛期には北は小布施町付近、東は佐久市野沢まで版図を広げた村上氏であったが、武田晴信の出現により、信濃統一の気構えも失せてしまったのかもしれない。

天文十七年(1548)二月に上田原合戦で武田軍を打ち破り、二年後にも砥石崩れで信玄を二度までも敗退に追い込むが、執拗な信玄の包囲網に根負けしてしまい天文二十二年に越後の上杉謙信を頼りこの地を去る。

北国街道① (42)
坂木宿のメインストリート。

北国街道① (48)
坂木宿ふるさと歴史館。旧本陣の建物を利用している。入館料100円は絶対お得だぜぇ~(笑)

北国街道① (49)
坂城神社へ通じる街道。古い宿場町の街並みを残している。

北国街道① (51)

汗だくになりながら街道を歩き、葛尾城を見て改めて思った事がある。武田と村上の違いは何か・・。

「組織力の差」

大塔合戦の頃から信濃の国人や豪族達は、共通の敵に対する利害関係で一致を見出すと「お国の為」という大義名分で力を合わせる。

普段はお互いの悪口ばかりで罵りあう烏合の衆の寄せ集めでも強いのである(笑)

対して武田軍は国内統一に際して直属軍を含めて部下には絶対的な服従を誓わせて臣下に組み込んでいる。

古文書にも武田軍の敗北には文献でも「国の嘆き・・・」とある。
武田軍=甲斐国なのだが、信濃では誰も国を背負っていない・・(爆)ナショナリズムの差は歴然としてる(笑)

小笠原長時に至っては肩書きだけで人を動かそうという暴挙に至っている・・・(汗)

そんな事を考えながら北国街道の最大の難所である横吹道まで歩いてみた。

北国街道① (53)
善光寺常夜燈。

まあ、言葉は悪いが信濃の国を背負うだけの気構えと野望を持った武将は現れなかったと云う事であろうか。

なんやかんやで、次回は横吹道~戸倉をご紹介しましょう。

≪北国街道 坂木宿~横吹道≫ 

標高:-
街道:北国街道
場所:埴科郡坂城町南条鼠~坂城町坂城
攻城日:2012年8月13日
所要時間:約40分
周辺の城跡:北条城、御所沢、葛尾城、姫城
見どころ:-
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Posted on 2012/08/24 Fri. 23:28 [edit]

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