らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0905

小坂城 (東筑摩郡山形村)  

◆東尾根に出城を配置する小坂氏の要害城◆

予告した以上は書かねばなるまい・・(笑)

前々回の武居城のある朝日村も、今回攻めた小坂城のある山形村も長野県人でありながら生まれて初めて訪問した次第である‥‥‥(汗)

今回援軍として参加頂いた「ていぴす」さんとは2回目の軍事作戦行動だったが、頼もしい限りであった。
この場を借りて感謝申し上げる次第である。

小坂城(山形村) (2)
林道脇からテキトーに尾根へ突入する。この道が正解なのか知る由もないので猪突猛進(笑)

我々は池の入城を目指したつもりだったのだが、行けども行けども登りばっかり。

途中に平削地はあったが城の遺構など無い。(実は前回予告編の866m地点だったのだ・・)

「ここは何処?、私は誰?」⇒「なんくるないさー」ひたすら登るしか無い・・・(爆)

小坂城見取図(山形村)

で、沢へ向けて二本の竪掘りを発見したのである。

小坂城(山形村) (3)
両岸に土塁を迫り上げた堀切㋐。南の沢へ続いている。

「この尾根を登った先に小坂城があるのか?」

池の入城からの合流地点らしき場所も確認して登る事約15分。堀切㋒を認め城域に入る。

小坂城(山形村) (7)

直接本郭を目指すのはアホらしいので、ここから西へスライドして北側斜面の段々畑群(腰郭群)を探索する。

この城の特徴は北側斜面に無数の段郭を配置して両サイドを竪掘で防御する方式であるという。

腰郭を多様する縄張りは、信州の初期の山城の縄張りに共通しているので、竪掘や主郭背後の堀切は戦国期の改修であろう。

小坂城(山形村) (9)
小郭が北側の斜面全体に展開している。

小坂城(山形村) (11)

小坂城(山形村) (16)
北斜面の腰郭群を遮断する城域最大の竪堀㋔。150mの長さには驚愕である。


単郭+段郭群+竪掘のシンプルな構造だが、北斜面への防御システムは異常なほど厳重である。

何に怯えていたのか?誰の侵入に備えていたのか?

小坂城(山形村) (19)
周囲を囲む土塁の見事な楕円形の主郭(21×8)

恐らく周辺の諸城も主郭は土塁で囲まれていた事を証明するような遺構が残っている。

ていぴすさんと共に感嘆していたのは云うまでも無い。

小坂城(山形村) (21)
主郭背後の堀切㋘。北側を三重にしているというが、浅すぎて疑問符。

搦め手である西尾根からの防御はあまり想定していないような主郭背後の堀切である。

恐ろしく深く垂直に近い二重堀切ばかり見てきた小生には消化不良である・・・(爆)

小坂城(山形村) (27)
尾根沿いの最終堀切㋗。深さも長さもイマイチであった。


城主・城歴はハッキリしていないが、永享十二年(1440)の結城合戦に参戦した信濃の豪族の中に「犬甘殿、平瀬殿、村井殿、三村殿、小坂殿」とあり、竹田氏や大池氏も記述があることから、室町時代中期には竹田村に竹田氏、小坂村に小坂氏、大池村に大池氏が居た事がわかるが居館場所については不明であるという。

また、一説には大池氏と小坂氏は同族であったともいうが、戦国期の小坂氏や大池氏の動向ははっきりしていない。

小坂城(山形村) (37)
城域南東へ落ちる竪掘㋖。この沢から攻めるなど愚の骨頂である。

小坂城の図面を引きながら、縄張図は妙義山城や小岩嶽城、塩田城に類似していると思った。

この後訪問した出城と称される池の入城も規模こそ違うけれど似たような構造であり、この地域の築城特性を良くあらわしているような気がした。

技術的には、武居城、竹田城には及ばないものの、妙義山城とともに戦国末期まで機能していたことを思わせる謎の城跡である。


≪小坂城≫ (こさかじょう 焼城桂入山城) 

標高:990m 比高220m
築城年代:不明
築城・居住者:小坂氏
場所:東筑摩郡山形村小坂
攻城日:2012年9月2日 
見どころ:竪掘、土塁、腰郭群
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:45分
注意:松茸による止め山になるので秋の攻城は避けるべし。
付近の見どころ:付近に竹田城、出城の池の入城
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

池の入城 (22)




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Posted on 2012/09/05 Wed. 22:45 [edit]

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