らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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飯綱城 (上田市秋和 リバイス) 
◆もう一度見たかった上巾25mの壮絶な二重堀切◆
村上連珠砦群については2年前に一通り掲載しているが、あまりにもプアな写真とお粗末な説明だったので、もう一度現地調査をしたいというのが本音である。
で、今回リバイスするのは飯綱城。(以前の記事⇒飯綱城2010年8月)
虚空蔵山の山頂(1077m)から南東の支脈に張り出した尾根(飯綱山)約300mを城域とする梯郭式の山城である。
上田坂城バイパスからの撮影。独立峰のように見える山。
前回同様、林道終点の弥陀平(みだへい)からは面倒なので、No20鉄塔から直登する。
「こんなに急斜面だったっけ?」相変わらず学習能力など無いようである…(笑)
この岩場の上から城域となる。

尾根を目一杯使った要塞であることがお分かりいただけますかしら??
前回の記事で城主城歴などには触れているので、今回は例の如くスライドショーで・・(汗)
堀切㋐から二重堀切の㋑までは数段の段郭が階段状に設営されている。
岩場を越えると最初に出現する堀切㋐
堀切から段々郭を見上げる。
六段の細長く狭い郭を数えて登ると、中央に土塁を加工した上巾16mの二重堀切で行く手を遮断される。
落差のある二重堀切。実に効果的だ。
二重堀切から更に六段の執拗な腰郭を数えてようやく「郭3」に入るが虎口らしきものは見当たらない。
ホームベースのような郭3(32×30)
ここから堡塁とも呼ぶべき郭2へ向かうのだが、堀切㋒(上巾10m)で遮られる。
堀切㋒。片側は岩盤の壁。
堡塁2に登る為には堀切㋒を越えて岩盤にへばり付くのだが、その先に岩を刳り貫いた堀切㋓で立ち止まる。
上からの石攻撃で即死である(汗)
岩を削った堀切。執念だけか‥。
恐らく尾根先からここまで辿りつけないぐらいと思われる恐ろしい防御システムである。
しかも東西の斜面は急であり、這い上がるのも難しい。
さて、更に楽しいのはここからである。
土留めの石積みの残る郭2(堡塁)
後方が土塁で14×9の広さ
真冬はここから上田市内を一望出来る展望台である。戦艦で言えば艦橋に当たる場所だろうか。
本郭を守る最後の砦で、背後は恐ろしい巾と深さを誇る二重堀切㋔で遮断される。
自然地形を二重堀切に加工している。
堀底から見上げた郭2.高さ10m以上。
堀切に下りるのに大変でした(笑)「背水の陣」ならぬ「背堀の陣」(爆)
東西の斜面(特に東側は長い)に竪掘で落として堡塁2を迂回しても動きを止める工夫が見て取れます。
東側の斜面を深く刻む堀切㋔
本郭より見た郭2。恐ろしい巾である。
で、前回突入したものの、藪が酷くて見れなかった郭1(本郭)へ突入。
相変わらず藪漕ぎを強いられるが葉っぱが黄色くなったんで何とか撮影してみた・・(汗)
左右を土塁で守られた平小口のようなものが確認出来る。ってことは、入口が馬出し??地面には天水溜めのような穴もあったし。
窪地のような本郭。何がなんだか・・。
ええい、この低木ども、邪魔だあー!!(怒)
礎石が何個かあったので、建物があったと推定される。ここでカメラが突然故障してしまう・・(怖っ)
数分後に何とか復旧するが夕暮れ時だし、ヤバイなあー(汗)
郭4(35×30)ようやく視界が開ける。
堀切㋕。土塁を挟んで二本連続にした手の込みようである
城域最終となる堀切㋖。土塁でかなりの落差を付けている。
さあ、如何でしたでしょうか?
村上連珠砦群と呼ばれる数多くの砦が虚空蔵山に点在するのですが、加工度の高さでは、「物見城」「ケムリノ城」と並び戦国末期まで現役として使用された形跡が高いと思われます。
二重堀切を三段構えで備えているというのは、後にも先にも飯綱城ぐらいでしょう。
ひょっとしたら景勝さん、和合城をカモフラージュにして上田城への対抗拠点として改修したのかしら?(笑)
最後に冬しか見る事の出来ない貴重な尾根の写真をご覧ください(2011年1月撮影)
※堀切㋓と表示しているのは堀切㋔の間違いです、悪しからず(汗)
≪飯網城≫ (いいづなじょう ツルメの城、甲城、赤羽兵部城)
場所:上田市秋和(標高757m 比高300m)
攻城日:2012年10月27日(初回訪問:2010年8月27日)
お勧め度:★★★★★(満点)
時間:国道18号線の上塩尻東の信号を上田バイパスへ入り大蔵京古墳入口を曲がる。林道はあるが車高の高い4WDかオフロードバイクで無いとキツイ。神社付近に路駐して鉄塔脇から登るのが良い。
見どころ;二重堀切、土塁、石積み、腰郭群、二の郭(物見台)からの展望
注意:岩場の堀切は転落注意。礫が多いので厚底の登山靴で望むべし。

虚空蔵山登山口から見た飯綱山城遠景。
村上連珠砦群については2年前に一通り掲載しているが、あまりにもプアな写真とお粗末な説明だったので、もう一度現地調査をしたいというのが本音である。
で、今回リバイスするのは飯綱城。(以前の記事⇒飯綱城2010年8月)
虚空蔵山の山頂(1077m)から南東の支脈に張り出した尾根(飯綱山)約300mを城域とする梯郭式の山城である。

前回同様、林道終点の弥陀平(みだへい)からは面倒なので、No20鉄塔から直登する。
「こんなに急斜面だったっけ?」相変わらず学習能力など無いようである…(笑)


尾根を目一杯使った要塞であることがお分かりいただけますかしら??
前回の記事で城主城歴などには触れているので、今回は例の如くスライドショーで・・(汗)
堀切㋐から二重堀切の㋑までは数段の段郭が階段状に設営されている。


六段の細長く狭い郭を数えて登ると、中央に土塁を加工した上巾16mの二重堀切で行く手を遮断される。

二重堀切から更に六段の執拗な腰郭を数えてようやく「郭3」に入るが虎口らしきものは見当たらない。

ここから堡塁とも呼ぶべき郭2へ向かうのだが、堀切㋒(上巾10m)で遮られる。

堡塁2に登る為には堀切㋒を越えて岩盤にへばり付くのだが、その先に岩を刳り貫いた堀切㋓で立ち止まる。


恐らく尾根先からここまで辿りつけないぐらいと思われる恐ろしい防御システムである。
しかも東西の斜面は急であり、這い上がるのも難しい。
さて、更に楽しいのはここからである。


真冬はここから上田市内を一望出来る展望台である。戦艦で言えば艦橋に当たる場所だろうか。
本郭を守る最後の砦で、背後は恐ろしい巾と深さを誇る二重堀切㋔で遮断される。


堀切に下りるのに大変でした(笑)「背水の陣」ならぬ「背堀の陣」(爆)
東西の斜面(特に東側は長い)に竪掘で落として堡塁2を迂回しても動きを止める工夫が見て取れます。


で、前回突入したものの、藪が酷くて見れなかった郭1(本郭)へ突入。
相変わらず藪漕ぎを強いられるが葉っぱが黄色くなったんで何とか撮影してみた・・(汗)


ええい、この低木ども、邪魔だあー!!(怒)
礎石が何個かあったので、建物があったと推定される。ここでカメラが突然故障してしまう・・(怖っ)
数分後に何とか復旧するが夕暮れ時だし、ヤバイなあー(汗)



さあ、如何でしたでしょうか?
村上連珠砦群と呼ばれる数多くの砦が虚空蔵山に点在するのですが、加工度の高さでは、「物見城」「ケムリノ城」と並び戦国末期まで現役として使用された形跡が高いと思われます。
二重堀切を三段構えで備えているというのは、後にも先にも飯綱城ぐらいでしょう。
ひょっとしたら景勝さん、和合城をカモフラージュにして上田城への対抗拠点として改修したのかしら?(笑)
最後に冬しか見る事の出来ない貴重な尾根の写真をご覧ください(2011年1月撮影)

≪飯網城≫ (いいづなじょう ツルメの城、甲城、赤羽兵部城)
場所:上田市秋和(標高757m 比高300m)
攻城日:2012年10月27日(初回訪問:2010年8月27日)
お勧め度:★★★★★(満点)
時間:国道18号線の上塩尻東の信号を上田バイパスへ入り大蔵京古墳入口を曲がる。林道はあるが車高の高い4WDかオフロードバイクで無いとキツイ。神社付近に路駐して鉄塔脇から登るのが良い。
見どころ;二重堀切、土塁、石積み、腰郭群、二の郭(物見台)からの展望
注意:岩場の堀切は転落注意。礫が多いので厚底の登山靴で望むべし。

虚空蔵山登山口から見た飯綱山城遠景。
Posted on 2012/10/28 Sun. 20:04 [edit]
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