らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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押野城 (安曇野市明科七貴)  

◆日岐丸山氏の境目の見張り砦◆

さんざん不評を買い続けた大河ドラマ「平清盛」だが、最近は面白いので毎週欠かさず見ている(笑)

前半は良く知らないが、方向修正をしたらしく見応えのあるドラマだ。

受信料を真面目に治めている視聴者としては、そのうち半額セールになることを期待して止まない‥‥。

押野城 (41)
押野城の登り口。といっても道路脇の丘が城跡なので迷うことは無い。


ところで、信州の方言に「ズクを出せ」というのがある。

直訳すると「やる気を出せ、とか努力しろ」という意味に使われるが、反対語に「ズクが無い、ズク止んで(やんで)」という使い方をする。

これは「やる気が無い」とは微妙に違い「楽して何とかしてしまおう」という言い回しである。

現代の城攻めでは、愚直に攻め上がるのは蛮行であり、いかに「ズク止んで登るか」が重要である(笑)

押野城 (4)
南側の道路脇に残る堀切跡。


今回ご紹介する押野城は車で横付け出来る場所にあるので、「ズク無し野郎ども」にはありがたい・・(爆)

えっ、正攻法で攻めろよって??  山深き信州の城攻めですもの、時には楽したいのがホンネですw

押野城見取図

押野城は旧明科町七貴の押野山の南嶺の小山上にあり、犀川と高瀬川、穂高川が合流する地点の高台に立地する。

犀川の南南東の対岸には塔の原城、更に南の光城も眼下に収め、北北西900mには白沢砦がある。
犀川の合流地点の南1kmには有名な大王わさび農場がある(これは関係無いか・・汗)

押野城 (6)
主郭手前の郭。前後を堀切で囲まれた小さな廓である。

押野城 (7)
主郭手前の堀切。

「信府統記」には「押野山古城地 上押野村より卯ノ方甘四十六間、下押野村より北ノ方五町 本城の平 東西八間南北廿一間 城主知レズ」とある。

伝承では高田大和守繁晴の持城とも云い、丸山主膳の居城とも伝える。

押野城 (11)
主郭(45×17)立派な石碑と高田氏神の社があり西側には土塁が残る。

丸山主膳とは日岐丸山氏の事であろうか。

いずれにしても隣接する塔ノ原氏との境界線における仁科一族の境目の城としての監視砦として機能していたようである。

押野城 (14)
主郭の北側にも土塁があり、背後の堀切の高さを稼ぐために造作されたものだと推定される。

城域の東尾根の登り口(ここが大手道?)には高田家が今もある。城守として代々続いているらしい。

押野城 (19)
主郭北側の土塁と堀切。時代の古さは否めない。


押野城 (17)
北の尾根に向けて段郭が続いている。小規模でオーソドックスな手法だ。


この城で想い出したのが浦野城

「城が平」という広大な馬場に付属する砦という縄張りがソックリである。

押野城 (35)
道路を挟んで城域の南側に付属する250×100の城が平。かつては耕作地だったようだが荒れ放題である。


もうひとつの特徴は西側に展開する細長い腰郭と土塁を伴う堀切である。

押野城 (27)

押野城 (28)
城の西側の弱点を補うように大きな二重堀が走る。堰き止めれば水掘になるという驚きの構造である。


縄張りだけを見れば、物見砦の域を出ないが、馬場を備えた古代の城としては興味深いものがある。

恐らく西側の堀切は戦乱に明け暮れた日岐氏vs小笠原貞慶時代に増設されたのかもしれない。

「ズク止んで」訪れた城にも時として発見があったのは嬉しく思うのであった・・・・・・・(笑)

≪押野城≫ (おしのじょう 高田城) 

標高:625m 比高80m (林道沿いからは10m)
築城年代:不明
築城・居住者:高田氏(日岐丸山氏)
場所:安曇野市明科七貴
攻城日:2012年9月30日 
見どころ:大堀切、郭、土塁など
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:0分
注意:秋は松茸山(止め山)なので注意しましょう。狭い林道なので小型乗用車が限界。すれ違い困難。
付近の見どころ:塔ノ原城、狐ん城、中村城など
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

光城2 (52)
光城から見た押野城。





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Posted on 2012/10/01 Mon. 22:28 [edit]

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