らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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光城 (安曇野市豊科田沢 リバイス)  

◆塔ノ原氏の犀川沿いディフェンスラインの中核◆

残念ながらその名前とは裏腹に光城の評価は芳しくない。

真面目に登れば比高310m。現在は車道が通り簡単に城跡に着いてしまうのが原因だと思う(笑)

2年前に景色ばかりに感嘆した光城の汚名を挽回すべく再調査に臨んだ・・・(ってか、やっぱり車で訪問)

光城見取図①
何回も書き直した見取図。その割には納得いかない。


応永七年(1400)の大塔合戦の海野勢の中に「飛加留氏」がありこれが初見だといわれている。

宮坂武男氏によれば光の語源は「峯に雷神(雨乞いの宮、古峯神社、別名お天狗さま)を祀ることから出た地名」だという。

雷神⇒雷⇒ライトニング⇒閃光(稲妻)⇒光 ってことか。(ってか英語はおかしいでしょ!!)

滋野系海野氏は犀川を境とした会田~刈谷原~明科田沢一帯を一族で治める土豪に成長していったという。

光城2 (1)
城域への遊歩道は搦め手方面だったと思われ、最初に見えるのが三重堀切の最終「堀切㋐」。

光城2 (3)
東側へ竪掘となって林道の更に下へ続く。貞慶さん時代の改修だろうか。

塔の原氏は「田沢の盟主」と記述されているが、光城は光氏、峰続きの田沢城は田沢氏と称していたらしい。

往時の光城は田沢城の本城であったと思えるが、防御は現在よりもプアだったと思われる。

見取図における㋐と㋑の堀切の間にも堀切跡があるのだが、かなり埋没してしまっている。

光①018
中間の堀切。上巾7m。この堀は何故か竪掘にはなっていない。

光城2 (12)
何故かこのアングルの写真が多い堀切㋑(笑)。上巾8m×高さ5m。

三重の堀切で警戒しているので、この方面が搦め手だと推察出来る。

この城域では東斜面の傾斜が比較的に緩いので、㋑㋓㋔の竪掘を巡らせた上に、㋒の意味深な横堀を連結させている。

この組合せをどう見るかが興味深いところになる。

光城2 (11)
堀切㋓に対しては通常に堀底を連接させている。

光城2 (17)
堀切㋑に対しては土塁で堀底を遮断しているのが分かる。

光城2 (14)
東斜面を落ちる堀切㋑。

光城2 (19)
南東の尾根でRに曲がる堀切㋓。両サイドを土塁で迫り上げている。


この城、申し訳無いが郭なんてどうでもいいのである(笑)

塔ノ原城が美しき「扇堀」と呼ばれる五連の戦闘的な堀切を持つのに対して、四連の移動用(運搬または退避用?)の堀切をもっているのである。

この四連の竪掘は「人室(ひとむろ)」と呼ばれる東斜面の窪地で合流している。

光城2 (73)
林道脇の崖下に小屋掛け出来る広さの「人室」と呼ばれる場所がある。


戦国初期は足弱と呼ばれた女子供や年寄りを匿う場所であったと思われ、戦乱の世が終息に向かうあたりでは武器や食料などの物資、兵士が駐留した場所ではないかと思われる。

恐らく竪掘は連絡通路もしくは出撃用の通路であり、横堀は万が一の迎撃用とみても良いのではないのか?

出城の田沢城の後詰の兵士を置いたとしても不思議は無い。

光城2 (77)
人室に落ちる竪掘㋔。


まあ、いずれも妄想の域を出ないが、堀切観察をすると面白い城跡である(笑)

光城2 (45)
郭1と郭2を隔てる堀切㋕。往時はもっと深かったと思われる。

光城2 (50)
郭1の背後の土塁。


連梯式郭の1、2、3はオーソドックスな手法で防御に苦心した後は見られない。

現在の西尾根からのトレッキングコースが大手筋と考えられるが、比高340mの城攻めは難攻であり、防御施設など皆無に等しいし、その必要も無かったと思われる。

光城2 (63)
郭1から西に降った先にある平場。数か所の堀切が認められるがお飾り程度のものしかない。


小笠原貞慶による大規模な改修以前は、田沢城が本城でその詰城という見方も出来るようだ。

塔ノ原城の荒々しい作りとは正反対の縄張りと構造を持つ光城。

安曇野平野を一望できるその展望を抑える事は、塔ノ原氏を始めとして海野一族が生き残るために絶対に必要だったことが分かる。

光城2 (69)


武田氏滅亡後は小笠原貞慶に降り各地を転戦し武功を挙げたが、貞慶の将来に疑問を抱いた塔ノ原氏は小岩嶽城の古厩氏と共に上杉景勝に内通し謀反を企てる。

貞慶は内通の事実を察知し、深志城内にて塔ノ原氏を成敗したという。

信濃の小豪族が生き残りを賭けた博打は勝者と敗者に分かれるが、一瞬の判断ミスと片付けるのは「そうなるべきしてそうなった」というクダラナイ歴史学である。

光<br />城2 (35)
郭2と腰郭。


現在残る光城も、ちょっと視点を変えてみると実に面白い城跡です。

「城は何度か訪れてみないと、その良さが見えない」

もう二度と行きたくない城もありますが、新たな発見を期待して出来るだけ二度攻めたいと思うこの頃です。

光①046
犀川の対岸から見た光城と田沢城。


≪光城≫ (ひかりじょう 大城、仁場城) 

標高:911m 比高340m (林道沿い駐車場からは20m)
築城年代:不明
築城・居住者:塔ノ原氏(光氏)
場所:安曇野市豊科田沢
攻城日:2012年9月30日 
見どころ:竪堀、横堀、郭、土塁など
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:林道入口より車で10分。駐車場から城跡まで徒歩5分。
注意:トレッキング客で賑わうので不用意な写真撮影は注意。付近は止め山なのでキノコ採り厳禁。
付近の見どころ:塔ノ原城、田沢城、平瀬城など
参考文献:「図解山城探訪 第六集 安曇史料編 宮坂武男著」




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Posted on 2012/10/05 Fri. 21:53 [edit]

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