らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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こや城・茶臼山城 (安曇野市明科東川手)  

◆日岐方面に備えた塔ノ原城の支城◆

「各個撃破」という熟語を信濃で実戦するのは想像以上に辛く厳しいものがある。

比高差(登り口から城跡までの実際の標高差)だけなら体力勝負だが、城跡までのルートが不明な場合が多く立ちはだかる雑木林+藪漕ぎは想像以上に体力を奪われ、遭難覚悟となる・・(汗)

今週末から挑む大町・白馬方面は全くの未知数で異様な数の城(砦)が険しい場所に立地しているという。

冒険者⇒遭難者にならぬよう厳重な装備とリポDは忘れないようにしたい(笑)

で、今回ご紹介するのは大町・生坂方面を抑える明科口にある「こや城・茶臼山城」でございます。

こや城・茶臼山城見取図①


【こや城】

こや城 (1)
こや城は県道302号線脇の駐車スペースの北側にある城山公園にあり、歩いて5分ほどだ。


会田川に浸食された崖淵台地上にある「こや城」は二つの郭からなる単純な縄張りで、物見程度の場所であったのであろう。ゲートボール場に改変されているが、プレーヤーの減少なのか荒れ果てているようだ。

こや城 (3)
郭1。(25×11)

こや城 (8)
郭2への通路と主郭の切岸。これといった工夫も無い。


信府統記には「明科小谷山古城地、明科村高札場より寅ノ方七町五十四間、本城ノ平南北十七間 東西六間 二ノ曲輪 東西六十七間、南北三十五間 城主知レス」とある。


こや城 (12)
人が絶えたのかオフシーズンなのか不明なゲートボール場となった二の曲輪。(40×140)

城域はかなり広いのだが、篠ノ井線により西側が削られているので往時はもっと広かったと思われる。

会田虚空蔵山城の殿村(旧四賀村)一帯を治めていた会田岩下氏と塔ノ原氏は同族なので、会田街道への監視というよりは、生坂方面の日岐氏や、対岸の仁科一族に備えた番所というべきものであろうか。

こや城 (15)
小谷稲荷社のある北東側城域。周囲を崖に囲まれた要害である。


ここから南1kmに塔ノ原城があるので、茶臼山城とセットで出城的な機能をしていたと思われる。

こや城 (18)

≪こや城≫ (こやじょう 小屋城・小谷城・古屋城) 

標高:551m 比高80m
築城年代:不明
築城・居住者:塔ノ原氏
場所:安曇野市明科東川手
攻城日:2012年9月1日 
見どころ:郭、切岸
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
注意:岩場は転落注意
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」


【茶臼山城】

こや城の対岸にある茶臼山城に関しては信府統記に記述は無いという。

屋敷があったという伝承が残る程度で詳細は不明である。

茶臼山城 (5)
薄暗い雑木林と化した郭1から居館跡を見下ろす。

藪漕ぎの途中で大きな蛇を踏んじゃったので、慌てて逃げ惑いロクな調査も出来ず退却・・(汗)

茶臼山城 (8)
南側の畑から見上げた茶臼山城。

まあ、確かに小屋掛け出来る充分な広さがあり街道の監視には問題ない位置にある。
会田川が天然の水堀の役目を果たしているのでさほど弄る必要もなかったか。

茶臼山城 (2)
会田川を挟んだ対岸のこや城(郭2)

≪茶臼山城≫ (ちゃうすやまじょう) 

標高:576m 比高50m
築城年代:不明
築城・居住者:塔ノ原氏
場所:安曇野市明科東川手
攻城日:2012年9月1日 
見どころ:郭、切岸
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:15分
注意:藪の深い場所には近寄らない事。
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」


小笠原貞慶により塔ノ原氏が誅せられた時に両城とも廃城になったという。
古い形式を持つ砦なので、利用価値も無かったのかもしれない。

こや城 (24)
こや城から見た犀川方面。





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Posted on 2012/10/20 Sat. 06:28 [edit]

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