らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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牛伏城 (上田市常磐城 リバイス)  

◆単郭の背後に二重堀切を穿った矢島城関連の城?◆

さて、村上氏連珠砦群のリバイスを続けよう。

人間というものは年を重ねてしまうと、二年前のクソ暑い夏に登った苦労など忘れてしまうものである(笑)

虚空蔵堂の神社の裏手から攻め込んだのだが、「あれ?道無かったんだっけ??」このことである。

牛伏1城跡へはそそり立つような急斜面を喘ぎながら登る。


酷い礫が散乱する急坂だったのは覚えていたが、こんなに大変なら止めれば良かったと後悔する(汗)

悪戦苦闘して平場に辿り着いたのだが、石切り場を城跡と勘違いする有り様で完全に混乱していた。

牛伏城2 (3)郭と勘違いする見事な石切り場。

「確か、背後に太い堀切のある単郭が城跡だったような気がする・・・」

二年前の記憶の断片が甦って良かった・・・(笑)

牛伏城見取図①

牛伏城については小懸郡史(大正十一年)に以下の記載がある。

「牛伏城は上田市常磐城區小字虚空蔵にある山城なり。本郭は頂より約三十間低下して方四間ばかりあり。それより塹寺次降下して、東西五間、南北三間の一郭あり。次に東西六間、南北三間の一部あり。次に堀切あり。次に東西六間、南北四間の一部あり。これより以下険峻藪丈攣づるに難し。所傳なし。城は村上氏連珠砦の一にやあらん」

この記述だけ見れば本郭の下に二つの郭が連続し、堀切を置いて更に郭があるような記載だが、現場とは異なる。

牛伏城2 (10)城跡に続く一本道。

牛伏城2 (11) 36×25の単郭。

なんとな~く開けた削平地が郭である。

牛伏城2 (15) 郭東側の切岸。

この城、西斜面と東斜面は急峻なので、東側と太郎山に続く尾根の防御が課題である。

しかし、東側の松尾宇蛇神社に続く傾斜の緩い稜線には二本の緩い竪掘りのみで郭の土塁も無い・・。

牛伏城2 (16) 竪掘㋕と犬走り。

さすがに太郎山へ続く尾根の処理は真面目(?)で、郭の背後に土塁を穿ち虎口を設置して上巾16mの堀切で防御されている。

牛伏城2 (21) 主郭背後の土塁。

牛伏城2 (19) 土塁から見下ろす虎口と堀切㋐。

宮坂武男氏によれば往時は二重堀切だった痕跡があるという。

歳月で埋もれた事を考慮しても、他の村上連珠砦群の中ではかなり浅く防御構造としては弱い。

牛伏城2 (25) 太郎山接続側から見た本郭方面の堀切㋐。


牛伏城2 (27)東斜面の堀切。


牛伏城2 (32)西斜面に「あれ」として落ちる堀切㋑。

確かに堀切㋐の堀底は東西の斜面に対してそれぞれ二本竪掘りを通したような跡が見られる。

沢を挟んだ峰の麓には矢島城があるので、関連した砦と見れるが、詰めの城ではなく住民の避難用の場所と考えた方が良さそうである。

牛伏城2 (33)堀の深さを稼ぐ為の本郭背後の土塁(高さ2m)

牛伏城2 (38)西側の堀切は区切りの為の盛土がある。

足弱と呼ばれた女子供・老人の一時的な避難場所とすればこの程度で充分だったのかもしれない。

この場所からは飯綱城や花小屋城への見通しも悪く連絡用の砦とは考えづらい。

尾根伝いの標高900m(牛伏城からは比高210m)の場所にはアラ城(荒城)がある。

荒城①荒城主郭背後の堀切。

尾根に四条の堀切と二重堀切を持つ砦であるが規模は小さい。

牛伏城を荒城の出城と見るには防御構造のひ弱さから無理があり、矢島城の詰城を荒城と見るのが一般的なように思える。

荒城② 2010年8月に攻めた荒城の本郭と手前の二重堀切。

村上氏連珠砦群の中でも牛伏城と荒城は在地土豪の古い縄張りの城であり、重要視されずに繋ぎの連絡用として使われた可能性が高い。


≪牛伏城≫ (うしふせじょう 牛頸城)

場所:上田市常磐城虚空蔵(標高690m 比高200m)
攻城日:2012年10月28日(初回訪問:2010年8月15日)
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:虚空蔵堂より30分
見どころ;二重堀切、土塁など
注意:礫が多いので厚底の登山靴で望むべし。荒城(標高:900m 麓からの比高:410m)へは更に40分。苦難の道のりである。
参考文献・資料:「図解山城探訪 第三集上田小県資料編 宮坂武男 著」

荒城③










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Posted on 2012/11/03 Sat. 20:08 [edit]

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