らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1107

佐野城 (北安曇郡白馬村神城佐野)  

◆標高1200m、比高450m。険しき尾根伝いの中腹に存在する謎の要塞の正体とは◆

300番目の城は、白馬村に展開する城塞群でも謎に満ちた佐野城となった。

この城の存在を知ったのは、城郭サイトのパイオニアである城と古戦場の管理人マサハレ殿からの小生宛てのメールであった。

実際にこの城を訪れているのは宮坂武男氏、三島正之氏、そしてWEBでは登山家のMIHARUさんだけらしい。

信州の山城を掲載する小生にとって、避けては通れない山城らしい・・(笑)

佐野城(白馬村) (1)さのさかスキー場を抜ける林道が登城口。

この時期、単独での攻城はクーさんの籠城が予想されるので、長野県の歴史を探し求めての管理人である「ていぴす」殿に援軍要請を行う。中塔城攻めでその真価を発揮したビョーキ同盟軍は11月3日の総攻撃で軍議を決したのである。

白馬周辺諸城配置図                 白馬村神城周辺の城の配置図。

山の持ち主さえ場所を知らないという佐野城の攻略については慎重な事前計画を練った。(でも当日のみ)

しかし、同迷軍の戦術は「尾根をタダヒタスラノボル」という宮坂武男氏の言葉しか無かったのである(笑)

佐野城攻略図

気温0度の9:10に侵入開始。荒れた林道らしく車での侵入を諦めて徒歩で林道の分岐点を目指す。

佐野城(白馬村) (88)林道の分岐点。右へ折れる。


分岐を右に入り林道を5分ほど歩くと佐野城へ続く尾根の先端に辿り着く。ここまで所要時間20分。

踏み跡もケモノ道も無き喘ぐような急斜面の尾根を「ただヒタスラノボル」のである。

佐野城(白馬村) (3)尾根の先端。登るのに苦労する。

佐野城(白馬村) (5)先陣のていぴすさん。キツイ斜面である。

身の丈以上ある灌木が密集する道無き急斜面を傷だらけで這い上がる。

尾根先から約30分の悪戦苦闘を経て標高1100m付近に小さな棒状の郭と堀切を確認する。

佐野城(白馬村) (9)郭から見下ろした堀切。

「あと100mぐらいで城域だろうか・・・」

中腹に築かれた城ほど厄介なものは無い。尾根を間違えたら発見出来る可能性など皆無に等しいからだ。

佐野城見取図①
主要な郭が並列式の珍しい縄張りの佐野城。


佐野城(白馬村) (10)城域手前の削平地(20×10)

「まるで紅葉祭り」このことである(笑)

黄色とオレンジ、茶色の景色ばかりで、この先に目指す城跡があるのか不安になる。

戦闘開始から1時間10分でようやく城域の始まりを示す二重堀切㋐㋑に到達する。

佐野城(白馬村) (13)埋もれてハッキリしない堀切㋐

佐野城(白馬村) (15)北の沢へ向けてほぼ直角に遮断する二重堀切の上部7で7ある㋑

堀への虎口ははっきりしないが、尾根に向けて土塁を施した二重堀切が尾根側を完璧に遮断し、南北へ竪掘として落とされているのが確認出来る。

佐野城(白馬村) (18)北側の斜面へ竪掘で続いている

堀切の上段は斜面を削平したと思われる窪地となった段郭が三段ほど確認出来る。

数時間前にはクーさんがラジオ体操をしたらしく、落ち葉が土まみれで獣特有の臭いが残る(汗)

佐野城(白馬村) (23)クーさんはここで体操か?

窪地の上は土塁を周回させた堀切㋒がW型で城域を遮断している。念を入れた防御構造である。

佐野城(白馬村) (24)城域西側

佐野城(白馬村) (26)城域北側は二本の竪掘り接続させて斜面の動きを封じている

佐野城の横堀㋐㋑㋒は、このあとに攻め落とした飯田城と共通する防御構造であることが判明する。

恐らくこの要塞も沢渡氏が関係したものだと思われるのだが、どうだろうか。


さて、この横堀の斜面を登ると、世にも奇妙な並列する郭群に遭遇する。

佐野城(白馬村) (49)この削平地に何があったのか?

尾根筋の斜面を削り、更に掘り下げて空間を確保すると共に南北の郭を谷間で独立させている。

いったい何の為に?そしてこの場所は何に使われたのだろうか???

やはりクーさんが遊んでいたと思われる跡が鮮明に残っている・・・(笑)

佐野城(白馬村) (27)南の郭群。

佐野城(白馬村) (30)方形の郭2。

佐野城(白馬村) (33)連続する郭と堀切の土塁。

中央分離帯ともいうべき場所について、宮坂氏は天水溜めあるいは小屋掛けと推定している。

小生は現地を見た限りでは、足弱の女子供を寒さ厳しい風雨から守る掘立小屋があったのだろうと推定する。

佐野城(白馬村) (66)北側に位置する郭1。


北側にある本郭からは周辺の様子が手に取るように見える(といっても現在は藪で視界はあまり良くないが)

佐野城(白馬村) (72)郭1から見た北北東方面。

佐野城(白馬村) (70)山麓の佐野集落。

佐野城(白馬村) (79)南東の青木湖も視野に入る。

ある程度規模のデカイ物見と考えられない事もないかもしれない。

しかし、ここが物見や逃げ込み城では無かったというのが、その厳しい防御ラインの構築に見て取れるのだ。

これだけの高地にある砦ならば、下から攻め登る敵に対する㋐㋑㋒の堀切は納得出来る。

しかし、並列の郭の登り斜面の傾斜に更に土塁を伴う堀切㋓を穿って上からの攻撃に備えたのはどういう訳であろうか?

佐野城(白馬村) (63)堀切㋓。

佐野城(白馬村) (64)北へ竪掘として落ちる堀切㋓。


驚愕すべき事実は、堀切㋓の更に上の登り斜面に堀切㋔があるのだ。1600mの尾根先からの敵の来襲に備えたというのか??

佐野城(白馬村) (76)急斜面の堀切㋔。

佐野城(白馬村) (75)斜面の上から見下ろした堀切㋔。R型になっているのが分かる。


三島正之氏の調査によれば、この尾根の上にも堀切があるらしいが今回は断念した。クーさんを追いつめてはいけない・・(笑)


さてさて、撮影した写真は見事に「紅葉祭り」となってしまい、何が何だか分からないので補助線を落書きしたのでご容赦願いたい(爆)

佐野城(白馬村) (80)ズーム7倍で青木湖を撮影。


【佐野城の考察について】

城主・城歴とも伝承が無く全く不明である。地籍は城平というのは確からしい。
周辺には白馬城塞群ともいうべき城や砦が多数あり、仁科氏の配下である沢渡氏や大日方氏がこの地方を治めていたので佐野城もその一部として築かれたものであろう。
領民の逃げ込み城ではないか、との推察もあるが、果たしてそうであろうか?

信州において標高1200mというのは雲がかかるかどうかの境界の高さであると思う。
物見や烽火台としては、雲に隠れては意味が無いと思われる。

この標高に匹敵するのは松尾城の尾根伝いにある遠見番所の1270m。とても居住空間ではない。
奇妙山も似たような標高だが、戦国期は烽火台としての価値であろう。
標高と使用目的に近いのは中塔城かもしれない。

佐野城で特筆すべきはその防御構造であると思われる。
尾根側に対して二重堀切+7本の竪掘り+W型の堀切を設けている。そして段郭を置く事でその守りは鉄壁となっている。

城の主要部は小屋掛けの左右に小高い郭を置いて侵入者を水際で撃破する構造である。
この縄張りには「守り抜く」という強烈な意思が存在している。

普請に際しては地元領民や土地の土豪だけでは到底不可能で、縄張りに段郭を多用し横堀を穿つ手法は飯田城と共通しているので、沢渡氏が関係していると思うのだがどうであろうか。

いずれにせよ、これだけ高い場所の斜面によくこんな城を造ったものである。
風雲急を告げる信濃への侵略者に備えた仁科一族の拠点だった事に間違いないと思われる。

佐野城(白馬村) (90)林道中間地点から見る佐野城(ズーム7倍)

紅葉祭りの城跡からまさに転がり落ちるように下界へ戻った(笑)

きっとまたクーさんが城主として遊んでいるのであろう(爆)

≪佐野城≫ (さのじょう) 

標高:1200m 比高450m
築城年代:不明
築城・居住者:沢渡氏か?
場所:北安曇郡白馬村神城佐野
攻城日:2012年11月3日 
見どころ:堀切、郭、土塁など
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:1時間10分
注意:地図・地形図・コンパスは必携、熊対策グッズ必死。一人での訪問は避けるべし。
付近の見どころ:冒頭の記事を参照
参考文献:「図解山城探訪 第六集 安曇史料編 宮坂武男著

無理を言って同行していただいた「ていぴす」さんには感謝感謝でございます。

この場を借りて心よりお礼申し上げます。

佐野城(白馬村) (91)国道から見た佐野城遠景。

この後同迷軍が攻め入った「飯田城」(白馬村)の悲惨な攻城戦は、次号でご紹介しましょうか・・・(汗)













スポンサーサイト

Posted on 2012/11/07 Wed. 07:39 [edit]

CM: 12
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top