らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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石村城 (長野市豊野石大久保)  

◆殿屋敷の物見台か?◆

年内にあと2箇所ほど攻めて今年は納会にする予定だったが、夕方からの雪で白銀の世界となり万事休す(笑)

ある程度の積雪ならメリハリの効いた写真になるが、一面真っ白では補助線すら引けず、どこがどうして何とやらとなる・・(汗)

信州の冬は長いような印象を持つが、我々のような城攻め部隊としては1月と2月を諦めるので実質4ヶ月の稼働。
4ヶ月で30城の攻防はかなり上出来であろうか。城跡が特定出来れば良いが、ヘタに彷徨えば一つの城に一ヶ月を無駄に過ごす事もある。

塩崎新城 (85)以前に攻めた塩崎新城だが、リテイクの為に降雪を押して出陣。主郭南の六連続の堀切は戦国期最終の進化系であり、新旧が同居する珍しい城。


今回ご紹介するのは「石村城」(※塩崎新城はそのうちリテイクします・・)

場所は前回掲載した三日城の東200mで、三念沢と大久保の沢が合流する小山にある。

石村城 (1)麓500mには殿屋敷がある。

山麓に城館がある・・などと書くと「城館一体型」でさぞかし険しい要害かと思われてしまうが、物見程度の質素な砦だった。

石村城 (4)西側から見た石村城。手前の大久保の沢が天然の堀切となっている。

【城主・城歴】

殿屋敷にある長野市教育委員会の説明板によると以下の記載がある。

「殿屋敷という名前の由来は、鎌倉時代、大倉城の支城として、この裏山に石村城が築かれたと云われ、その後戦国時代に石村城主となった下村靱負(しもむらゆきえ)が、隣接する長秀院の開基となり(天文元年・1532)、この地に館を構えたと伝え、現在も殿屋敷と伝えられている。

天然記念物の枝垂れ銀杏の根元には五輪塔や地蔵などがあるので、根小屋として屋敷があったと思われるが、下村氏についてはハッキリした事は分かっていない。

石村城見取図①

周囲はリンゴ畑になっているが、細長い尾根で南側を中心になんとか原形を留めている。

郭を並べて堀切2本を穿っただけの単純な構造で、烽火台か物見といった類であろうか。

石村城 (8)郭4。細長く削平も甘い。

石村城 (18)円錐形の郭3と堀切㋐。

石村城 (21)本郭に建つ石碑には皇紀2610年とある(昭和25年)

北側は改変されいて何処までを城域と見るかは難しい。

石村城 (24)郭2。

石村城 (25)郭1と郭2を遮断する堀切㋑。

確かにここからの見晴らしは良いので、物見とすれば申し分無い立地である。

が、敵を相手に戦える要害ではない。

石村城 (5)千曲川を挟んで小布施町、須坂方面まで視界に入る絶景。

鎌倉時代の築城は眉唾ものであるが、甲越合戦の頃には三日城と共に烽火台として機能したと思われる。

石村城 (27)東側の斜面より見た本郭。切岸になっているが、後世の植林による造成とも云われる。


≪石村城≫ (いしむらじょう) 

標高:400.5m 比高45m
築城年代:不明
築城・居住者:下村氏
場所:長野市豊野石大久保
攻城日:2012年12月2日 
見どころ:堀切、郭
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:10分(殿屋敷より)
注意:リンゴ収穫期は泥棒と間違われるので避けましょう。
付近の見どころ:殿屋敷(私有地立入不可)、三日城、髻山城など
参考文献:「信州の山城と館② 第五集 長野・更埴編 宮坂武男著」

石村城 (31)







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Posted on 2012/12/29 Sat. 11:34 [edit]

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