らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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楯の城 (長野市信更町三水)  

◆牧野島口・大岡口から川中島への道を監視した砦◆

今日の朝7:00の外気温は-11℃。ひょえー!この冬一番の冷え込みであった・・・

このぶんだと先日降った大雪が月内に消えるのは無理でしょうね(汗)ましてや山間部は根雪か・・。


で、長野市信更町シリーズ三作目は「楯の城(たてのじょう)」

現在の地図でいうところの県道70号線、390号線、395号線は戦国期における犀川流域から川中島への主要道だったと思われ、街道を抑えるように城砦が築かれている。(和田城での地図参照)

楯の城 (1)楯の城の推定地は県道70号線信更町三水地籍。電波塔が道路脇にあるので迷う事は無い。

宮坂武男氏の「図解山城探訪」の復刻版である「信濃の山城と館② 更埴長野編」では、弘化四年(1847年)の善光寺大地震で地形がかなり変形したが城跡は残ったとされ、長野懸町村誌を引用し武田の幕下の金丸弥左衛門が此処に拠ったとし、武田滅亡後は上杉景勝に従い会津移封の際に廃城になったとしている。

楯の城 (3)犀川に向けて突き出た崖淵が城跡と推定されている。

楯の城推定地①


1847年5月に発生した善光寺大地震(マグニチュード7程度)は、現在の飯山市から長野市大岡までを震源とする直下型地震で、人的被害は甚大であり犀川流域も地形の陥没や隆起を伴い広域に渡る自然災害も引き起こしたという。松代藩はこの地震の復興費用で財政危機に陥り幕末まで解消出来なかったという。

楯の城 (4)確かに郭があったのだと思える削平地。

犀川流域で甚大な被害を受けたのは虚空蔵山(平倉山)付近で、崩落した土砂が犀川を堰き止めてしまい二村が水没したという。

楯の城が形が変わるほどの被害を受けたのは事実らしいが、どの程度の規模だったのかは不明である。

楯の城 (9)鉄塔付近。尾根伝いに何箇所か堀切があったのだろう。

楯の城 (9)鉄塔先にも一段下がった場所に郭の跡が確認出来る。

牧野島城や大岡口から犀川を下った東の丘陵地帯にあり、往時の古道を衝立のように塞ぐ要害の地である。

長野県は地震と縁が無いような印象を受ける方が多いと思うが、地震や地滑りにより壊滅的な打撃を受けた山城が多いのも事実である。

楯の城 (13)城跡から田野口の屏風城方面。

楯の城 (17)電波塔のある場所は重要な郭だったと思うが後世の改変もあり想像の域を出ない。

楯の城 (18)堀切が入っていたと思われる電波塔郭の手前。

楯の城 (19)これって往時のものと思う電波塔の削平。

楯の城 (20)県道70号に接続する「郭?」。見事な切岸の脇には堀切があったのだと確信している。


信州の山城には「メジャー」も「マイナー」もない。

まして規模の大小や比高差とか標高の高低、縄張りの精巧さ・・・みんな違って面白い。

どっかの歌じゃないけど、それぞれがオンリーワンでいいじゃないですか・・(笑)

取るに足らない小さな伝説の砦が無数に散らばっている

「そこに立たなければ、見えない風景」

小生はそれを拾い集めて伝えていきたい・・・・・・・・・・・・・・・・

上尾城 (118)東1kmの長勝寺から見た楯の城。

≪楯の城≫ (たてのじょう) 

標高:490m 比高80m
築城年代:不明
築城・居住者:金丸氏
場所:長野市信更町三水
攻城日:2013年1月13日 
見どころ:切岸
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
注意:路上駐車は場所に注意
付近の見どころ:和田城、上尾城、屏風城、和田城など
参考文献:「信濃の山城と館② 宮坂武男著」




Posted on 2013/01/19 Sat. 22:36 [edit]

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