らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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西の城・東の城 (長野市信更町赤田)  

◆信州では西高東低という城型気圧配置か?◆

だいぶ古いが、井上陽水の詩に「東へ西へ」というのがあった・・・基本、昭和人なのでご容赦願います(笑)

名曲「傘が無い」をタイトルチューンとしたアルバムに収録にされている曲なのだが、歌詞は衝撃的だった。

「電車は今日も スシヅメ のびる線路が拍車をかける 満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う お情無用のお祭り電車に 呼吸も止められ 身動き出来ずに夢見る旅路へ だからガンバレみんなガンバレ・・・」

凄い描写である・・(汗)

お婆さんにも情け無用の都会の満員電車とは、いったいどういう電車なんだろうか。

この歌を知ったのは高校生の頃だったと思うが、その歌詞の鋭い描写とその感覚に云いようの無い戦慄を覚えた。

西の城・東の城①東の城(左側の丘)と西の城(右の丘)の遠景(2012/06/10撮影)

それと今回の「西の城・東の城」とは全く関係が無いのである・・・・(笑) 前置き長過ぎ・・・(汗)


信州にも方角を名前に持つ城や砦がある。

小生が訪ねた方角を持つ城跡は何故か「西」が優勢だった。(青木村も筑北村も)

なんでだろう なんでだろう ななななんでだろう・・・・・(ってか既に死語に近いらしい・・・笑)


西の城・東の城見取図①西の城の縄張りの発展形が和田城であろうか?


恐らく城跡が無ければ一生知らずに終わった田舎町である。

ここに暮らす人々がいて、ここでしか見る事の出来ない風景がある。

風変わりな趣味ゆえに周囲に理解されず悲しい思いをする事もあるが、その土地のお年寄りが生き生きと伝承を語る姿に接する時は実にありがたく、感謝の気持ちに溢れる。

今回ご紹介するのは戦国時代の信州における「東へ西へ」の舞台となった砦である(?)「西の城・東の城」


【西の城】 (にしのじょう)

単郭に横堀を組み合わせた丘の上の居館跡であろうか。

西の城 (4)居館への通路は東側だったらしい。

現在からは想像も出来ないが、古くから開けた場所だったらしく、周辺には古墳もある。

双子のように並ぶ丘に宗教的な意味を込めて居館を造営したのだろうか?

残念ながら伝承が無い。西の田野口にある和田城との関連も謎のままである。

西の城 (8)東側の虎口からみた堀切㋐。

西の城 (9)後世の耕作と墓地の整地により堀㋐の東側は破壊されたと思われる。

横堀を直角に交差させ土塁で盛る手法は和田城にも見られるので、築城時期や縄張りは同一の一族の手になるものかもしれない。和田城の二重横堀は明らかに大勢力の改修であろう。

西の城 (12)主郭の段下には腰郭を備える。

西の城 (14)一辺30mで構成される台形の主郭。居館があったと推定するに充分な広さである。

特筆するような防御構造は無いが、丘に築かれた居館としては及第点であろうか。

西の城 (13)主郭の北側を守る横堀㋑。

西の城 (15)西側で直角に交差していたであろう堀切㋑。

こんな田舎にお洒落な城館があるとは驚きです。

西の城(29)


【東の城】 (ひがしのじょう)

りんご畑にした時に整地されたようで、現在の状況では遺構は無い。ただ、東西に堀があったという証言があるようで若干その痕跡が認められる。

西の城 (23)西の城から見た東の城。堀切が分かる。

西の城 (25)北側から見た東の城。現在は地山そのもの。


西の城と東の城の間に平時の居館があったという説もあるらしいが、現状では確認出来なかった。わざわざ居館を分ける必要も無かったと思うが。


≪西の城・東の城≫ (にしのじょう・ひがしのじょう) 

標高:605.5m 比高15m(西の城) 標高:609.0m 比高:19m(東の城)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市信更町赤田
攻城日:2013年1月06日 
見どころ:堀切、土塁
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
注意:りんご園なので注意。
付近の見どころ:和田城、上尾城、石川城、屏風城、盾の城など
参考文献:「信濃の山城と館② 宮坂武男著」


西の城(28)

戦国時代の地侍も「西へ東へ」忙しかったのでしょうネ・・・(笑)








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Posted on 2013/01/16 Wed. 22:45 [edit]

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