らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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保福寺番所 (松本市保福寺町)  

◆筑摩郡と小県郡の東境目の往還を守った番所跡◆

長野新幹線は昨年開業15周年とやらで色々なイベントが行われたらしい。

2008年に冬季オリンピックが開催されなかったら、相変わらず信越本線の特急「あさま」は存在したのだろうか?
横川駅で「峠の釜めし」を購入出来たのだろうか?

長野新幹線15周年バージョン (6)
長野新幹線あさまの15周年特別車両に描かれた松本城。(東京駅で撮影)

スピード(時間)と引き換えた代償は大きかったのだろうか。

それまで上田から東京へは片道3時間30分。当時、東京日帰り出張の帰りの電車内では、宴会騒ぎで盛り上がり車掌に怒られた記憶がある・・(笑)

今じゃ約2時間ちょっとで東京駅。そのうち「どこでもドア」並みの早さになるかもしれない・・・。

長野新幹線15周年バージョン (7)
お江戸を知らない真田幸村の感想はどうなんでしょうか。


余談はそのぐらいにして、今回ご紹介するのは「保福寺番所」。

保福寺番所地図


ここの立地や城歴は以前にアップした掻揚城を参照願います。

保福寺番所 (1)保福寺峠から保福寺町の集落の桝形クランクの手前には番所跡と石碑が残る。

保福寺番所は当初、峠に近い場所にあったが慶長十八年(1613)に現在の碑のある場所に移され、以後明治の最初まで建物が残っていたのだが、その後失火により焼失してしまったという。

保福寺番所 (2)

番所跡自体はそう珍しいものではないが、ここが特筆されるのは番所の役人を代々務めてきた小笠原家の家臣だった小沢氏の屋敷が残っている事であろう。

昨年末に紹介した横川番所もそうだったが、番所の役人の屋敷が現存している例は珍しい。

掻揚城 (71)小沢邸正面玄関。

掻揚城 (72)母屋の建物の西側の巨大な土蔵。

実はこの屋敷跡、ていぴす殿と掻揚城を攻めた後で何気に発見したのである。

裏側の道路から見たのだが、冠木門のある土塀が敷地を取り囲み、異常にデカイ母屋が隣の建物と二階部分も渡り廊下で接続され、土蔵の壁にはどこかで見たような記憶のある家紋………。

「はて、いずれか身分の高い庄屋の家だったのだろうか??」

保福寺番所 (7)裏門も冠木門なんて凄い。

二人で写真撮りまくり・・・後で調べたら保福寺番所の小沢邸だったって訳でした(汗)

保福寺番所 (10)土蔵の数とデカさもハンパ無い。

「ええい、この紋どころが目に入らぬか!!」(笑)

保福寺番所 (12)小笠原家の家紋「三階菱」

残念ながら現在は無人となっており、屋敷もかなり荒廃が進んでいる印象を受けた。

横川口番所の横内邸も、保福寺番所の小沢邸も後世に残して頂きたい貴重な屋敷跡である。

誰も見学に来ない四賀化石館に経費を掛けるくらいなら、松本市で小沢邸を買い取り郷土資料館でも開設した方がよっぽど入場者が来るだろう。

掻揚城 (70)母屋の東側にも門がある。万が一の戦闘に備えて敷地内にも建てたものらしい。


≪保福寺番所≫ (ほふくじばんしょ) 

標高:793m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:小沢氏
場所:松本市保福寺町
攻城日:2012年12月15日 
見どころ:土塀、土蔵、母屋などがあるが私有地なので無断侵入は厳禁。
お勧め度:★★★☆☆
史跡までの所要時間:-
注意:無人と云えども民家への不法侵入は禁止。
付近の見どころ:横川番所跡も貴重な史跡。掻揚城へは麓より15分
参考文献:「図解山城探訪 第五集 松塩筑史料編 宮坂武男著」

保福寺番所 (9)番所址の碑と背後の掻揚城の全景。






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Posted on 2013/02/01 Fri. 22:50 [edit]

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