らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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篠の城 (長野市篠ノ井岡田)  

◆その名の通り篠(笹)に埋もれた要害の古城◆

竹藪に阻まれてしまい調査も不完全なまま記事に掲載して良いものか悩んだのだが、あとで追加修正もありだと思ったのでお披露目しておく。

場所は茶臼山(730m)から東へ張り出した尾根の先端にあり、茶臼山植物園の北に位置する。
川中島合戦時の陣所とか見張り台であったとの伝承もあるが、布施氏の築いた篠の城はここだったのだとろうと宮坂武男氏は推測している。

篠の城 (32)新田集落の入口から見た篠の城遠景。


「篠の城」の名前は長野縣町村誌の岡田村の管轄沿革にその記載を見る事が出来る。

古時不詳。布施氏の領地たり。同氏は鳥羽院の北面下総左衛門大夫正弘の男布施三郎を祖とす。布施某なるか布施郷に居住し本村を領す。(布施氏は滋野系望月氏の一族)
布施冠者頼直、本村に篠の城を築き移り字中曽根に家臣の邸跡あり。後山布施村に須立城を築き居住す。左衛門尉正直に至り、又布施郷に城きて移る。後山平林村の上尾組に築城し、これに移り氏を平林と称す・・・・。

篠の城見取図①

上尾城で平林氏の出自と戦国時代の経緯には触れたので参照願いたい。
一時期布施氏は山布施(篠の城または有旅城)と山平林(須立城⇒上尾城)の二系統に分かれたようだが、平林氏が領地と一族を統一したようだ。

篠の城 (21)集落の北はずれの墓地を登った先の果樹園が城域への入口になる(私有地なので無断侵入は避ける)

城跡は尾根上に三角形の主郭を置き、北と東の尾根に段郭を設置し搦め手と思われる西の尾根を二重堀切で切断した単純な作りである。周囲の沢を天然の深い沢が囲っているのでこの程度でも十分だろう。

篠の城 (1)主郭背後の二重堀切。撮影者の影まで映ってる?(笑)

篠の城 (3)堀底の高土塁は高さ3m以上あり圧巻である。

篠の城 (5)天然の沢へ結合するので竪掘の必要は無かったようだ。

この城の見どころはここだけであろうか・・(笑)

宮坂武男氏ですら計測不能だった竹藪密集地帯の本郭に挑むが、トーシロに何が出来るというのか・・・・(汗)
写真撮影ぐらいであろう・・・(爆)

篠の城 (9)堀切から見上げた本郭の切岸。

篠の城 (10)本郭を覆う竹藪。蛇も怖いしマムシも怖い・・・。

篠の城 (12)本郭から見た背後の二重堀切と対岸の果樹園。恐ろしい程の巾がある。

こんな鬱蒼とした竹林は好きじゃない。前日攻めた石川城も悲惨な竹藪だった・・・(笑)

ガサガサと音がするたびに心臓が飛び出そうだった・・(汗)

篠の城 (15)東尾根の段郭群。

大抵の場所は一人でも平気なのだが、見通しの悪い森や雑木林、竹藪は勘弁ですねえ。

「振り向けばヤツがいるかも・・・」この恐怖心は克服できない・・・(笑)

篠の城 (22)北の段郭群は調査切り上げました。

現在の城跡からの景色は藪が酷くて見えませんが、登り口からの景色は絶景です。

篠の城 (30)茶臼山陣場と共にこの場所が武田軍に利用されたとしても不思議は無い立地条件である。

≪篠の城≫ (ささのじょう 岳の城・御座平) 

標高:544m 比高170m
築城年代:不明
築城・居住者:布施氏
場所:長野市篠ノ井岡田
攻城日:2013年2月3日 
見どころ:堀切、段郭など
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分(茶臼山植物園より)
注意:果樹園は私有地なので不法侵入にならないように。
付近の見どころ:茶臼山陣場、須立城
参考文献:「信濃の山城と館② 宮坂武男著」




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Posted on 2013/02/09 Sat. 21:57 [edit]

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