らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0303

豊城 (上田市上田山口)  

◆村上連珠砦群から忘れられた砦①◆

2007年10月、初めて和合城~虚空蔵山を縦走した。往復7時間を要してしまい、家族からは捜索願が出される寸前だった(笑)

和合城から500mほど登った地点に菖蒲平(しょうぶたいら 勝負平のアテ字であろう)という場所があり、そこには「太郎山・虚空蔵山いにしえの山みちマップ」があった。

いにしえマップ①

「城の記号がずいぶんと多いね。この山には沢山の城跡があるんだなあー」

その時はそんな程度の感想で、それが「村上連珠砦群」だったとは後で知った(汗)

それから3年後の2010年7月、村上連珠砦群の各個撃破を開始する。(当時は調査というよりスタンプラリーになってしまい、再調査の為にその後再度登るハメになったが・・)

豊城①

「ユタカノ城?」「上ノ城 下ノ城?」

2010年9月に「ユタカノ城」を探索に柏山武事神社周辺に出掛け、東太郎山の尾根にも登るが見当たらず無念の退却。

「上ノ城 下ノ城」は柏山城であることを突き止めて2012年3月25日に攻め落とした。

その後「ユタカノ城」の事は忘れていた。そう、先日発刊された「信濃の山城と城館③」が出るまでは・・・・。

豊城 (25)金井方面からみた全景。

「そこにあったのか!」

米山城や柏山城から花古屋城を直接見る事は出来ない。

中間点の繋ぎの砦が豊城(ユタカノ城)だというのは理解出来るが、場所は謎だった。

通常であればNO4の鉄塔が突き刺さる場所というのがセオリーなのだが、見事に外された訳だ(汗)

鉄塔から南へ伸びた比高僅か60mの尾根先にあるなんて・・・。

豊城見取図①

近くで作業をしていた果樹園のオバサンに「ほうじょう」「ゆたかじょう」の地籍を聞き込みしてみたがチンプンカンプン(笑)

「ならば突撃あるのみ‥‥」(爆)

豊城 (1)主郭に祀られた三峯社の祠。

宮坂武男氏は、城跡には火伏せの神として城跡に秋葉社や三峯社が祀られている事実と場所、地形、字名を調査しこの場所が豊城であったのだろうと確信している。

無論、現地に立った小生が否定する理由などあるまい。

豊城 (3)主郭の北側にはもう一つ祠があるが、祭神名は不明である。

城域は四段の郭で構成されているようだが、往時の遺構としては削平された主郭と二段目までが確認出来るが三段目と四段目は確証が持てない。

丘全体が全山耕作されたようなので、改変された可能性もあるようだ。

豊城 (4)主郭背後と北への尾根筋。

主郭の背後は尾根に対して堀切の処理があったと思われる。切岸に落差を持たせているので、ある程度の巾はあったのだろうが、現状を見る限りでは埋められたのかもしれない。

豊城 (8)北側から見た切岸と主郭方面。

主郭は雑木林に覆われているが、最近周囲を伐採した痕跡が確認出来た。

どうせなら全て刈り払ってくれたらイイのにネ(笑)

豊城 (5)

豊城 (15)

道も無いような険しい山城ばかり攻めていると、思考回路が「山城=人を寄せ付けない逃げ込み城」に偏ってしまい、今回の件は反省しきりである(笑)

豊城 (18)

ここからは東側の柏山城や米山城・砥石城も良く見え、西の花古屋城も見通せる絶好の位置である。

豊城 (24)

凝り固まった既成概念から解放されないと、真実の姿は見えないらしい・・・(汗)

2007年の自分に問いかけてみるがいい。

「あの頃、あなたが心の底から見たいと思い、探していた村上連珠砦は全て見つかったんですか??」

そう、宝探しはまだまだ途中であり、カケラの全てを拾い集めて満足出来るまで続くのである・・・・・・

満足出来ずに終わる人生だとしても、その過程が輝いているならそれもいいだろう。

玄番山 (9)上田ICの玄番山公園から見たユタカノ城と花古屋城。

≪豊城≫ (ほうじょう ゆたかじょう ユタカノ城)

場所:上田市上田山口
標高:620m、比高:100m
攻城日:2013年3月2日
お勧め度:★★☆☆☆
所要時間:10分
見どころ;郭、切岸
注意:駐車場無し、路駐は注意
参考文献・資料:「信濃の山城と館③ 上田・小県編 宮坂武男著」










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Posted on 2013/03/03 Sun. 20:57 [edit]

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