らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0322

入沢城 (佐久市入澤)  

◆佐久地方を代表する要害堅固の隠れた名城◆

佐久地方の城は概ね「のほほんとした城が多い」というたび重なる失言をお詫びしたいと思う・・・(笑)

今回ご紹介する入沢城(いりさわじょう)は、集落の入り口に二つの出城を構え、城域である小山全体に八連の堀切と三連の竪掘り、裾野の城下には城館と神社、寺院を加えた要塞であり、佐久では間違いなくトップクラスの「惣構え」の平山城だったのだ・・・(汗)

入沢城 (2)城跡へは吉祥寺東側の墓地を上がって行く。

「百聞は一見にしかず」

宮坂武男氏の縄張図を見ても説明文を読んでも実感がわかないのはいつもの事・・(笑)

ならば現地を攻めるしかなかろう。比高95mは散歩の範囲である・・・(?)

入沢城見取図①

お彼岸に、自分の祖先の墓参りもせずに人様のお墓の前を通るのは気が引けるが学問の為である(笑)

入沢城 (7)元々削平地(郭)だった場所が墓所となったらしい。

断っておくが、この城跡には道標も説明板も標柱も存在しない。
だが、吉祥寺の西の小山をテキトーに登っても辿り着くので心配はいらない。

墓地から斜面を登ると北西尾根の竪掘㋐に遭遇する。

入沢城 (130)堀底から見上げた竪掘り㋐。左側に土手を付けているのは最終時期の改修であろうか。

北西の斜面に展開する竪掘㋐・㋑・㋒と段郭は素晴らしいので後で紹介したい。

城の中心部に入るには天然の岩崖の間を通り登らねばならない。自然地形を巧みに利用した工夫のあとを感じる。

入沢城 (17)トラロープがあるので岩場も安心です。

岩場の上は変形した三角形の郭5が綺麗に削平されてあり、岩を楯にするように一段上の尾根は郭4が続く。

入沢城 (20)西尾根の最初の郭5。

入沢城 (27)岩場を利用した郭4。

入沢城 (26)展望はあまり良くないが、千曲川や佐久甲州街道を眼下に出来る。

城の大手は吉祥寺からの西尾根であると思うが、北東の沢筋の処理を見ると物資の運搬はこの方面だった可能性はある。

入沢城 (35)西尾根を遮断する堀切㋓。

入沢城 (43)主郭下の岩崖まで入る竪掘㋑。

【城主・城歴】

14世紀の守矢文書もは入沢地頭として平賀氏の名前があり、15世紀には田口氏の縁戚として入沢氏の名が登場する。

天文七年(1538)には大井氏が入沢氏に代わって治めたらしいが、二年後の武田信虎による佐久侵入で臼田城(医王寺城か?)とともに板垣信方に攻められて落城。その後水石和泉守が在城したというが定かではない。

入沢城 (47)北尾根の郭3。

入沢城 (52)北尾根先端に続く「郭3‘」周囲は険しい天然の崖で防御されている。

入沢城 (50)郭3から見た主郭の切岸。

比高95m程度であれば、平山城に区分されるであろう入沢城の西と北の尾根は天然の地形を利用した効果的な防御が施されている。

戦上手と呼ばれた板垣信方が落とした入沢城は、改修される前だったと思われる。

入沢城 (63)北西にのみ土塁の残る主郭(郭1)

城域の最も高い場所にあり三方の尾根を監視する重要性から言えば主郭は「郭1」であるが、指揮官が作戦を立て部下に命令を出す陣所としては郭2のが広く居住空間も確保出来るので、こちらが主郭としても不思議は無い。

入沢城 (68)郭1から見た郭2との位置関係。

入沢城 (70)郭2の南側は土塁と虎口がある。

吉祥寺⇒郭5⇒郭4⇒堀切㋓⇒南側の帯郭⇒郭2というのが往時の大手道だったと推測される。

また、郭2には周囲を石積みで囲った天水溜めのような穴と背後を守る土塁が構築されている。
それともこの場所には井戸があったのだろうか?

入沢城 (80)天水溜めか?

郭2の南側半分は笹藪に覆われてしまい、写真をとっても何が何だか。残念である(笑)

入沢城 (108)西尾根から見た郭2と南側の沢。

まあ、ここまでなら何処にでもありそうな山城だが、圧巻なのは郭2の背後の西尾根における処理で、堀切を八本も穿って徹底的に切り刻んでいる。佐久地方では切裂きジャックのような奇抜な堀切はあまりお目にかかれないので、驚いた。

入沢城見取図②
ボケボケの拡大図だがご容赦願おう(汗)

郭2の背後は上巾5m(実測値)の堀切㋔が最初に登場する。控えめな堀切だが、石積みで補強されている。

入沢城 (84)

入沢城 (85)石積みの跡を見る事が出来る。

次に出現する三重の堀切との間には、岩崖を利用した武者溜まりを置いて迎撃用としている。

入沢城 (89)尾根の岩盤を利用した武者溜まり。

ここから連続の堀切で、北尾根側は三連、南尾根側は二連という変則的なY字堀切工法である(笑)

入沢城 (91)堀切㋕。土塁を付ける事で上巾と深さを稼ぐ。

入沢城 (94)上巾9mの堀切㋖。(南側より)

入沢城 (101)南側の堀切から見た尾根。

北も南も竪掘としての長さは無い。南の沢は傾斜が緩いので、長く延長して掘っても良さそうだが、沢の途中に弛みがあるので伏兵を置く場所があったのだろうか?

入沢城 (102)南側の斜面はかなり緩い。

三連の堀切だけで尾根上の上巾は25mの長さを誇る。土木工事頑張ったよね。

そしてラストの三連+尾根の「アレ」

入沢城 (111)

入沢城 (114)堀切㋙は、入沢城では最大で最長の堀切なのだが、写真にうまく収まらない。(ヘタクソ!)

入沢城 (120)三連の最終㋚。かなり埋まっている。

西の尾根の最終は堀切㋛(あれ)で一応終わっている。

入沢城 (121)斜面の最終堀切㋛の位置。


城域はシンプルな作りだが、西尾根の堀切群は必見の価値があると思われる。


【北西斜面の処理と三條神社】

入沢城の最大の特徴は北西斜面の竪堀と段郭、そして空掘で囲まれた三條神社であろうか。

入沢城 (131)竪掘㋐と㋑の間の腰郭群。

入沢城 (132)沢から見上げた竪掘㋑


全山を耕作地として見る向きもあるが、三條神社から上の北西斜面は明らかに人の手が入った削平地である。

整然と区画分けされた郭は分譲地の風景かもしれない(笑)

入沢城 (135)北西斜面を区切る二重土塁竪掘りの㋒。

入沢城 (141)裾野に展開する郭群。

入沢城 (145)「また墓地かい!」と怒られそうな郭。

三本の竪掘に守られた北西斜面の見学は冬から春先のみ可能で、それ以外は恐ろしい藪に覆われていると思われる。

小生が一番驚いたのは神社周辺の空掘跡であった。

入沢城 (150)神社背後の空堀。

入沢城 (153)神社西の空堀。

現在の三條神社が居館跡だったのかは不明だが、四方を堀で囲まれている遺構から考察すると居館跡であったような感じがする。

入沢城 (155)神社。

入沢城 (156)神社から吉祥寺へ向かう道の左右も切岸で加工された郭だった事がわかる。

戦国時代後半まで改修され続けた秀逸の城がここにあったのだ。正直なところ驚きを禁じ得ない。

これからも大切に保存していただきたい遺構です。

佐久の城はデカイだけの城や緩い感じの城でつまらない・・・という考えは捨てないといけません・・・(汗)

地味なんだけどしっかり作ってある「掘り出し物の城」がまだまだありそうな気がします。


≪入沢城≫ (いりさわじょう)

標高:853m 比高95m 
築城年代:不明
築城・居住者:平賀氏、入沢氏、大井氏
場所:佐久市入沢
攻城日:2013年3月20日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間15分 駐車場:吉祥寺の駐車場借用
見どころ:連続堀切、郭など。付近には十二山城、磯部城、水沢城。
注意事項:北西斜面は酷い藪なので夏場の突入は難しいと思う。
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」


入沢城 (158)入沢城全景(西側より)






















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Posted on 2013/03/22 Fri. 23:20 [edit]

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