らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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上小田切城 (佐久市臼田)  

◆在地土豪の要害砦◆

どんなにデカイ城だろうが、ゴミのような砦だろうが、小生のブログでは分け隔てなく扱うのがモットーである。

なので時々立場が逆転してしまい、「砦の分際で、本城よりデカイ顔しやがって・・」とか「ワード検索でこんなヤツ上位に入っていいのか?」という支離滅裂な有り様である・・(笑)

それはそれで、今も昔も下剋上の世界ですから・・・・・・・(うまい、座布団5枚ってか)

上小田切城 (3)普門寺。切原小学校が出来るまでは小田切小学校として教育の場であったという。

城跡は、上小田切集落の普門寺裏山の約250m東の稜線上にある。

普門寺の西100mに墓地があるのでそこから上がるか、寺の裏から直登しても問題無く稜線に辿り着く。

上小田切城 (7)稜線は削平された道となっていて途中に小山が二つほどあり堀切らしきものもある。

稜線の道が登り斜面となり土塁状に変化している場所からが城域となるようだ。

上小田切城 (16)城域入口から見る(東側より)

上小田切城見取図
画像をイジリ過ぎてレトロな感じになった見取図(笑)※(信州の山城と城館1 宮坂武男氏の縄張図を参照に作成)

全長120m程度で、前後に堀切を置いた郭が二つ確認出来る。

在地土豪が砦として築き、小田切氏の支配下では雁峰城への烽火台程度の機能だったと思われる。

上小田切城 (20)堀切に見えない?・・澄んだ心の目で見ると立派な堀切に見えるのだが・・(汗)

上小田切城 (21)郭1の切岸。

上小田切城 (20)郭1(20×15)

小田切氏が去った後の小田切集落は草間氏が雁峰城を本拠として領有したというが、武田氏侵攻においては為す術も無く落城。

武田による佐久平定後、利用価値の無くなった上小田切城は捨て置かれたのであろう。

上小田切城 (25)主郭の西隅の土塁跡。全周していたか?

上小田切城 (30)郭2と「こだわりの虎口」(笑)

上小田切城 (36)西側から見た堀切㋒と周辺の処理。

通常であれば二重堀切の処理ぐらいありそうだが、浅い堀切簡単な防御で終わっている。

上小田切城 (33)西へ続く稜線もどこまでが往時のものか微妙だ。

冒頭でも述べたが、小さな取るに足らないゴミのような山城でもそれなりの主張を持っている。

上小田切城はその立地こそが計算された場所であり、そこに存在する意義があることを充分に示している。

上小田切城 (54)

上小田切城跡からの景色は明瞭ではないが、雁峰城も向城も視野に入るギリギリの位置にある。

この砦はそれが全てなのだ。それでいいのだ(笑)


≪上小田切城≫ (かみおだぎりじょう)

標高:838.3m 比高65m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市入沢
攻城日:2013年3月20日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間10分 駐車場:普門寺脇に駐車
見どころ:土塁、堀切
注意事項:秋は止め山だと思われます。
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」


上小田切城 (53)北東から見た上小田切城全景。










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Posted on 2013/03/29 Fri. 22:33 [edit]

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