らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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塩田城その4 (上田市前山)  

◆塩田城の魅力を後世に伝えていく事◆

塩田城は同じ上田小県(ちいさがた)の砥石城のような華々しい戦歴は無いし、派手な籠城戦も行われる事は無かった。

「信州の鎌倉」と呼ばれる塩田平における北条三代の居城として紹介されることはあっても、周辺の著名な神社仏閣に埋没してしまい、戦国時代まで重要視された魅力的な山城だった事を知る人は少ない。

塩田城④ (159)龍光院の桜と西砦のコントラスト(2013.4.28撮影)

小縣郡史(ちいさがたぐんし)では塩田城を「古城址」として以下の記載がある。

「古城は西塩田村前山區東前山字上町(カミチョウ)の御前(ゴゼン)にあり、獨股山(とっこさん)の中腹にあたる。本郭は東西三十間、南北二十間あり、山村麓に追手あり、一大空濠の跡あり。
これより山懐を登ること凡百二十間の間、凡そ十五階の削平地あり、各東西十五間許、南北十間許とす。南は獨股山の岩壁を負ひ、東西南壁は山頂尾より分岐せる山峯を以って之を限り、恰(あたか)も薬研状の凹地に拠りて築く。追手より北に開展して上町・御所入・宮本町・横町・立町・本町・道場・下城戸・馬場等の小字存せり。
里傳に塩田氏代々之に居るといふ。即北条時政の孫時氏の三男塩田陸奥守義政が、建治三年五月塩田庄に閑居した時にありとす。これより三世國時に至り鎌倉幕府滅亡と共に廃城となるといふ。」

塩田城④ (156)龍光院にある塩田北条氏初代義政公の墓所。

地元の歴史を編纂した「小県郡史」が「北条氏の滅亡とともに廃城」という誤った記載なので、塩田城の城歴など正確に伝わってなどいなかったのだろう。(汗)

さて、地元代表として頑張って踏査してきた塩田城探訪も今回の記事でラスト。

その魅力を最後まで伝えることが出来るのか???


【西堡塁群と東砦の強固な防衛ライン】

最終回も下記の図を参照願いたい。

西(地図では右端)の観月堂から尾根を縦走し弘法山砦、そしてWebでは初公開となる東砦と橋頭保群を制圧し国時の墓に戻るという全工程二時間半の山岳ゲリラ戦であった。

塩田城概略図③

最初の目的地は観月堂(月見堂)のある尾根先。

塩田城④ (5)塩野池から見上げた観月堂。

道路脇から適当に稜線を直登し到着したが、塩野神社からちゃんと道があったので驚く(いつもの事・・笑)

塩田城④ (16)

観月堂(月見堂)は明治31年に地元の青年会が俳句を楽しむ場所として建てられたという。(凄っ!)

張り出した西尾根の最先端であるこの場所は、そのロケーションの素晴らしさから物見が置かれたに違いない。

塩田城④ (20)保福寺峠、青木峠方面からの動きが見える。

塩田城④ (24)喘ぐように稜線を辿り西保6。

塩田城④ (27)西保5.稜線は痩せているがしっかりした道が付いている。

稜線を辿りながら、「そういえば、こういう外郭の連続する橋頭保を持った城って他にもあったような気がする・・・」

そう、望月城砦群を思い出した。まあ、規模はこっちのがデカイか・・。

塩田城④ (29)西保4。

まあ、コブを巡っているような感覚(笑)

景色も見えないので黙々と進む。こういうの苦手だなあ~。

塩田城④ (31)4と5の間には北へ向けた堀切がある。宮坂氏の縄張図には載っていなかったものだ。

塩田城④ (34)西保3.他とどこが違うの?(汗)

攻城を開始してから30分。鬱蒼とした展望の開けない山の中の縦走は気分が萎える。

西堡2でようやく景色が広がり「ひと休み ひと休み」(笑)

塩田城④ (38)規模の大きな堡2と手前の塁壁。

塩田城④ (41)神々が降臨する独鈷山の山並み。神秘的でさえある。

塩田城④ (43)真田昌幸が保福寺峠の抑えとした女神山城が見える。

ここで少し気力を充電したんで、「さあ、頑張るべえ!」と西堡1を目指す。

このあと待ち構えていた「進退きわまる判断」など思いもせずに……。

塩田城④ (44)こんな山の中で久々に堀切に巡り会うと嬉しいものです。

塩田城④ (47)緩い尾根を進み急坂の先にある西堡1を目指す。

塩田城④ (49)巨岩に阻まれながら試行錯誤で西堡1に辿り着けるのか?

塩田城④ (52)困難を超えて辿りついた西堡1。

ここで西堡塁群が終わる。宮坂武男氏が何故ここで区切ったのか?

その答えは行く手を阻む恐ろしい高低差を伴う崖を見て納得する。

塩田城概略図②西保1と西5の間はは地獄の一丁目だった。

塩田城④ (54)進退極まった垂直の岩壁。

尾根が垂直に近い岩壁群で遮断されている。

ここまできて撤収はあり得なかった。南北どちらかの急崖を選ぶしかなかった(汗)

「ガサガサ・・・・」

眼下の南の沢を猛スピードで下っていく黒い未確認生物が・・・。もはや一刻の猶予も無い。

「ええい、北の斜面を抜けて尾根に登れ!」

塩田城④ (56)足を滑らせれば命の保証など無い。

塩田城④ (57)けもの道だけがサバイバルの道だった。

西堡塁が万が一敵に制圧されても、弘法山砦への道は遮断出来る。

攻略図②の西4・西5・堡塁で横矢で殲滅出来るのだ。

塩田城④ (59)命からがら辿りつけた西5。

ここから先は塩田城その3に記載した通りの弘法山砦である。

一週間前が何カ月も前のような気がしたのだが、今回の最後の目的である東堡塁群へ突入する。

塩田城④ (72)東1の堡塁にある石仏。

前回の「塩田城その3」では記載していないが、弘法山砦に入るには東1は必須の場所。ここから連続する東砦の橋頭保を下るにはそれ相当の覚悟が無いとヤバいのは現地を見て初めて知ったのである。

なので今回は龍が出ようが蛇が出ようが突き進む事必死であろう(笑)

塩田城④ (73)東2の堡塁。

「なんだ、楽勝じゃん」

地獄その2はここから始まる。

足を踏み外せば転がり落ちる事間違いない道無き急斜面を下る。

再び進退きわまる岩に進路を塞がれるのであった。

塩田城④ (77)

東の沢に迂回するが、一歩間違えれば沢を転落する惨事だろう。まあ、惨事といっても誰も気がつかない。

塩田城④ (84)東3.

悲惨な急斜面散歩が一段落すると、東砦が近づく。

塩田城④ (91)痩せ尾根から登った先が東砦。

塩田城④ (96)東砦の主郭。

ここが今回の縦走の最終目的だった。

どんな犠牲を払っても辿りつくべき場所だったのである。

塩田城④ (102)東4。

ここからの景色はほとんど期待していなかったのだが、さすがに橋頭保の名前は伊達ではなかった。

塩田城④ (104)西砦が手に取るように見える。

塩田城④ (109)堡塁5.

塩田城④ (110)前山の城下町。

塩田城④ (122)上田方面の城。

まさに執念のみであった。生きて帰れたのは嬉しい限りであった。

「険しい山城の魅力を満喫出来る城」と宮坂氏は仰せになるが、レベルによっては考えものであろうか・・(笑)

宮坂氏の語る塩田城の魅力を以下にまとめてみた。

【大手口から連続する広大な削平地】

塩田城2 (18)

【登り石垣】 (枡形から西砦の斜面に構築された石塁)

塩田城③ 060

【枡形】

塩田城③ 063

【水の手曲輪】

塩田城2 (58)

【北条国時の墓】

塩田城2 (70)

【弘法山からの景色】

塩田城2 (124)


連続4回で掲載した塩田城ですが、如何でしたか?

先入観だけで判断されてしまう城の典型だったような気がします。

弘法山まで登らなくても虎の口や国時の墓所まで行けば、この城の魅力の80%は伝わると思います。

砥石城と共に上田小県を代表する素晴らしい城館・・・是非その目で確かめて欲しいと思います。

≪塩田城 (しおだじょう 古城)≫

標高:842m 比高300m(弘法山山頂まで) 
場所:上田市前山
最終攻城日:2013年4月28日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの経路:
見どころ:堀切、郭群、石仏群(?)、郭跡、橋頭保群、展望など
注意事項:弘法山とその周辺の山は9月から11月初旬までは止め山なので注意が必要。
参考文献:「図解山城探訪 上田小県資料編 宮坂武男著」「小県郡史」

塩田城2 (175)塩田城全景。











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Posted on 2013/04/30 Tue. 07:00 [edit]

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