らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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桝形城 (長野市上松)  

◆川中島を巡る甲越戦争の脇役ながら独特の縄張りを持つ山城◆

「桝形城」というその名前が原因なのだろうか?

確かに小諸市にも茅野市にも信玄公ゆかりの城として同名の城があるが、長野市上松にある桝形城はWEB上でも誰一人として真面目に書いた記事が見当たら無い。そんなにプアな城なのだろうか?

昨年からずーーーーーーーーっと気になっていて夜も眠れない?(いや、毎日しっかり熟睡しているが・・笑)

枡形城(長野市) (1)オフシーズンは駒形嶽駒弓神社(こまがただけこまゆみじんじゃ)経由が城跡への通路となる。(4/1からは地付公園経由のコースも利用可)

今回は蟻ヶ城に引き続きサポートメンバーとして「ていぴす殿」をお迎えしての攻城戦である。

整備されたトレッキングコースには飽きさせない工夫があるようですよ。

枡形城(長野市) (7)そのうち日本の標高634mにはこのような看板が林立するのだろうか・・・それも嫌だなあー(笑)

枡形城(長野市) (12)地附山中腹の見晴らし台にはヤッホーポイント?長野市の中心で愛を叫ぶってか・・(汗)

桝形城は、長野市上松~戸隠まで通じる「戸隠バードライン(昭和40年全線開通)と呼ばれる旧有料道路の上松~大峰山区間の途中にあるのだが、この区間は昭和60年に発生した地附山地滑り災害で通行止めとなりその後廃道となった。

枡形城(長野市) (13)トレッキングコースの分岐点を「いにしえコース」に向かうと旧戸隠バードラインの車道に出る。

当時、地附山の地滑り災害(昭和60年7月25日)は老人ホーム「松寿荘」を飲み込み多大な犠牲者を出し翌日の三面記事にも掲載されたが、翌日に発生した日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故により、残念ながら世の中から忘却されてしまった。

雑談だが、その後の裁判の経緯を見れば、地附山地滑りは道路工事の瑕疵による人災という司法の判断となった。
この二つの大きな事故は、飛行機も道路も安全を無視し利益優先となり果てた当時の日本への警鐘となった。

枡形城(長野市) (14)オーバーブリッジと呼ばれる道路上の橋。橋の北側が桝形城の城域である。(写真では左側)

橋は渡るための機能である。なので渡ってみた・・(笑)

枡形城(長野市) (16)(信濃の山城と城館 宮坂武男氏の縄張図を参照)

橋から長大な横堀切㋐までは台形の削平地で広範囲が藪で覆われている。夏は突入すら不可能であろう。

道路開通前に何があったのかは全く不明で、ひょっとすると郭ともう一本外堀でもあったんだろうか?

枡形城(長野市)見取図①

横堀㋐は東斜面側に弧を描く独特な形で斜面を意識した防御。(西側斜面の㋒と㋓に共通する)

南側にも低い土塁を伴う堀なのだが中央あたりで土塁がハッキリしなくなっている。宮坂武男氏は南側が馬出しだった可能性を指摘しているが、現地を見ると案外そうだった可能性は高いと思えてならない。

枡形城(長野市) (35)堀切㋐の南側には何があったのか?

枡形城(長野市) (30)東斜面を屈折する形の堀切㋐。堀の北側は異様な高さの土塁が巡り圧巻である。

枡形城(長野市) (39)西側から見た堀と土塁。つづら折りにしているのが分かるだろか?

この横堀だけ観察しても凄い土木工事の量であり、葛山城の城将だった落合さんやその部下が作れるようなシロモノではない。

大勢力である上杉さんが関係しただろうし、上杉さんが圏外となった時には武田さんも改修して使用したのであろうか?

枡形城(長野市) (40)痺れる横堀とは、こういう仕様をいうのであろう。素晴らしい。

枡形城(長野市) (45)防御の要だったと思われる郭3。

桝形城の特筆すべきは、その西側のショルダー付近の処理であろうか。

それもそうだが、なんで大峰城との中間地点の地附山(じづきやま)には何も無いのか???

その答えは次回の大峰城再探索で答えがでそうだ(ってか予告かい? 笑)

枡形城(長野市) (47)補助線は時に余計分かんなくなる?

郭3から西に延びる土塁の途中には桝形城の説明版がある。

枡形城(長野市) (49)要約すると複雑かつ高度な防御システムを持つ詳細不明の山城って事でしょうか・・。

でもね、縄張図の等高線を外して平面だとすれば、「後ろ堅固」とか「城正面」の縄張りだと気がついた。

「なるほど、山城仕様の3D版だったのか!」(笑)

枡形城(長野市) (54)西から見た郭2と天水溜め、堀切㋑。

宮坂武男氏は郭3と堀切㋑の間のスペースを郭2として、その隣の窪地を天水溜めと推定している。

神の見立てに異論を唱える訳ではないが、現地を見た限りでは堀底に土塁を築いた二重堀切に見えるのだ。

枡形城(長野市) (62)郭と見るか堀切と見るかは微妙である。

枡形城(長野市) (67)東斜面を竪掘となる堀切㋑。

さて、ここからが桝形城が桝形である所以(ゆえん)を見て行きましょう。

枡形城(長野市) (77)直角に山の斜面を這い上がる堀切㋑。

枡形城(長野市) (84)西側から見る堀切㋒。7

枡形城(長野市) (87)桝形を形成する堀切㋒と堀切㋓の合流地点

枡形城(長野市) (98)郭1の手前にも小さな桝形が確認出来る。

前回の蟻ヶ城は「毘沙門天祭り」だったが、今回は「桝形テンコ盛り祭り」らしい・・・(爆)

これだけの立派な防御を持つ城なら、別の名前もあったろうに・・・。

枡形城(長野市) (106)北側から見た郭1。段差がある。

本郭の北側には郭らしき削平地が二段あるが、防御らしき遺構は見当たらなかった。

大峰城や葛山城には段郭があるのだが、この城にはそれが一切無い。城歴は比較的新しいと見ていいだろうか?

枡形城(長野市) (103)本郭の説明板。

堀切の両再度に低い土塁を巡らせる手法は大峰城にも見られ共通しているようにも思えるが、小生の独断と偏見で考察すると、武田軍が築いた陣城または付城であろう。

葛山城攻めに際して武田は上松に陣を張ったとされている。しかも越軍の越境出来ない冬である。

武田の機動力なら、ものの二ヶ月もあれば完成したと思われる。

大峰城を牽制し、葛山城の攻撃軍の支援を行うには理想的な位置にあり、万が一上杉軍や北信濃の豪族が援軍に駆けつけても足止めが可能だったと思われる。

枡形城(長野市) (119)地附山山頂から桝形城。

敵の想定は善光寺方面(横山城?)からと葛山城・大峰城に違いない。

これほど素晴らしい遺構の眠る城跡を誰も紹介いないのは「もったいないオバケ」が出そうである・・・(笑)

≪桝形城≫ (ますがたじょう 城山)

標高:711.7m 比高280m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市上松城山
攻城日:2013年3月30日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要:駒形嶽駒弓神社から45分 駐車場:神社手前に有り。
見どころ:土塁、堀切、
付近の城跡:大峰城、葛山城、若槻山城
注意事項:トレッキングコースなので迷う事はありません。
参考文献:「信州の山城と館②「更埴・長野編 宮坂武男著」

枡形城(長野市) (127)上松三丁目からの全景。
























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Posted on 2013/04/05 Fri. 23:39 [edit]

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