らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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塩田城その3 (上田市前山)  

◆三度の巡礼でようやく全容を捉える事が出来た県下最大級の中世城郭◆

昨日、三回目の攻城戦に挑む・・・・というよりはもはや「塩田城巡礼」に近いものを感じている・・・(笑)

今回で巡礼もラストにしたかったので、塩野神社⇒観月堂⇒西堡塁群⇒弘法山砦⇒東砦と堡塁群⇒国時の墓⇒虎の口と縦走する。

岩場ばかりが連続し久々に緊張。高低差もハンパなくてスリルの連続であった(汗)

塩田城③ 1650西側の塩野神社方面から見た塩田城全景。


【国時の墓所とその周辺】

村上氏の被官だった福沢氏時代における塩田城の中枢部は「虎の口」から南側で、現在北条国時の墓所とその上の郭だったと思われる。

沢の中に位置する城の両側を包み込むように岩場の稜線を利用した橋頭保塁群が守っている。

塩田城2 (64)最上部の国時墓所の郭まで丁寧に削平された郭が6ヶ所山間の棚田のように続く。

塩田城概略図②図は「図解山城探訪第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」の塩田城跡縄張図を参照し作図しています。

鎌倉幕府の重鎮である北条義政が塩田の庄に居館を構えたのが「御前」とよばれる場所と推定され、以後国時、俊時の三代60年間が「塩田北条三代」と呼ばれる所以となった。

元弘三年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めに際して北条国時・俊時父子は宗家の危急を救うべく一族郎党と共に鎌倉へ馳せ参じたが、奮戦空しく敗れ東勝寺にて自刃したという。

塩田城2 (73)塩田陸奥守国時の墓と表示があるが、国時とその子俊時の供養塔である。

供養塔のある場所が塩田城の最高位であり詰め所だったと考えられそうだ。

※ちなみに初代の北条義政の供養塔は山麓の龍光院の参道奥にある。

塩田城④ (135)居住区としては最終の郭跡(38×15)ここから東西の砦、さらに弘法山への連絡路が続く。


【西砦の峰続きの高所に位置する中堡塁群】

ここから中堡塁を経て弘法山砦への登山道になるのだが道がハッキリしないうえに所々崩落し岩場も出現するので、健脚自慢の方以外は単独訪問は止めたほうがよい。

塩田城④ (137)チョッと過酷な300mである。

塩田城2 (71)登り口から見た略図の「中4堡塁」

かすかな踏み跡を頼りに西側の稜線の尾根に出たら「←弘法山」の高札がある。ここの岩場を右に進めば「中1⇒中2⇒中3」の堡塁。

塩田城2 (76)比較的新しい標識なので有志の方が整備しているようだ。

塩田城2 (77)「中1の堡塁」

塩田城2 (80)「中2の堡塁」

塩田城2 (82)「中3の堡塁」痩せ尾根は結構恐怖だ。

塩田城2 (85)往時のロケーションはもっと良かったと思う景色。(青木村方面)

山の位置を見て城跡が分かるなんてビョーキが重症だというバロメーターなんでしょうネ(笑)

本来であれば名称も「西の砦」関連なので西堡塁としたいところですが、龍光院の西峰にも堡塁群があるので宮坂武男氏の「中堡塁」をそのまま転用しました。


【弘法山砦】

弘法山へは、西の峰の西裏側を迂回するようにして東の尾根にへばり付く。途中道が消えるが左の尾根を目指せば問題ない。

塩田城2 (90)沢が見えたら左の尾根を目指せ!

塩田城2 (93)似たような松林の痩せ尾根ばかり(汗)

塩田城2 (96)右へ進めば「ブッダの目アトラクションコース」「左は尾根歩きコース」の表示。

えっ、ブッダの目のアトラクションって何かって?

江戸時代に「弘法山西国三十三観音めぐり」と称して金箔を貼った木仏を弘法山に配置し、庶民が巡礼を地元で手軽に出来るように整備したようです。(現在は石仏が置かれています)

詳細は弘法山西国三十三観音めぐりを参照願います。

塩田城2 (144)アトラクション施設。石積みは戦国時代のものか?

塩田城2 (112)弘法山砦の郭。見張りが置かれたのであろう。

塩田城2 (115)山麓からも目立つ展望小屋。

塩田城2 (117)村上氏との連絡は烽火で十分な位置にある。

塩田城2 (102)岩の窪みにはそれぞれ石仏の観音様が鎮座している。

本来の独鈷山は弘法山の名称だったらしいが、いつの時代からか隣の「峰の小屋(1266m)」が独鈷山となったのだという。この場所も塩田城の見張り小屋であった。

塩田城2 (127)連絡通路は天然の防御システムが備わる。

塩田城2 (128)弘法山砦の主郭(842m)

ここから南へ尾根伝いに南に登れば独鈷山へ通じる。(砦の搦め手方面)

西の尾根続きには五ヶ所の橋頭保を構築し、崖で切断される塩野神社方面の尾根には西堡塁群を構築する念の入れようである。(西堡塁群は次回掲載予定)

塩田城2 (129)主郭下の西橋頭保1。

塩田城2 (136)西橋頭保4.

塩田城2 (139)西橋頭保5。似たような写真でご勘弁(笑)

塩田城2 (142)西5から北へ張り出した尾根の先端にも堡塁がある。周囲は絶壁だった。

この時は「しばらく来なくてもいいかなあー」と思ったのだが、この峰の更に西側の堡塁群と月見堂、肝心の東砦の全容が明らかになっていない・・・・・(汗)

「信州人の一つ残し」という悪しき慣習がある。

ご馳走でも好きなものでも遠慮して最後の一つを残すという美学である(笑)

最後まで身の危険を感じながら食べ切るのが今回の主旨である。

次回怒涛の「クーさんも逃げたゾ塩田城最終回?」

≪塩田城 国時の墓所・弘法山砦と西橋頭保群≫

標高:842m 比高300m(弘法山山頂まで) 
場所:塩田城背後の弘法山
攻城日:2013年4月13日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの経路:虎の口から南へ30分くらい。
見どころ:石仏群(?)、郭跡、橋頭保群、展望など
注意事項:倒木などで途中の足場は悪い。単独行動は避けよう。岩場なので転落注意。
参考文献:「図解山城探訪 上田小県資料編 宮坂武男著」

塩田城2 (172)
前山集落入り口より見た塩田城全景。まさに要塞である。























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Posted on 2013/04/29 Mon. 08:24 [edit]

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