らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0518

若宮城 (上水内郡飯綱町芋川若宮)  

◆芋川氏の巨大な要害城◆

昭和世代の諸氏であれば、「天城越え」の次には「(鞍)骨まで愛して」を期待していた方も多いと思うが、天の邪鬼ゆえ舞台は更に甲越戦争の最前線となった野尻口まで北上する。

今回ご紹介するのは、クーさん出没情報の倒錯している若宮城。

ここの城主は残念ながら若いカモシカ殿。車に乗り込んだ帰り間際に突如現れ、ご乱心なされたようで車を潰されるかと思いましたあー(汗)

若宮城 158

登城口は芋川の若宮集落で、道路沿いに看板が立っているので迷うことは無い。

昨年の12月に降雪で攻城戦をあきらめたのでリベンジマッチである。

若宮城 185

西園寺堀に続く道が往時の大手道だったようだが、現在では建物と建物の間を通る狭い遊歩道なので不法侵入の嫌疑が懸念されるが、住人の方は快く通行を許可してくれました。(挨拶無しでも通って良いようです)

若宮城 184軒先をかすめるように続く大手道。

ちょっとした坂道を登ると巨大な横堀が右手に現れる。これが西園寺堀である。

若宮城 003横堀に土塁を巡らせる方式は北信濃方面の城のスタンダードのようである。

長野縣町村誌では、以下の記載がある。

【芋川氏墟】

村の北のほうにあり。東西十間、南北十二間、字若宮と云ふ。残礎尚存す。領主松平遠見守忠倶代耕地となる。但石壁等は永禄の頃、陛下に罹り皆焼石となれり。今に至り土を穿つ者、往々古城具を得る、又蔵屋敷より焼米を出す。明治九年一碑を建て芋川氏の事跡を掲ぐ。(後略)

芋川古城①

芋川氏の居館は若宮城より南2.3kmの妙福寺付近にあったとされ、元々の詰め城は鼻見城だったというのが通説らしい。

何らかの必要に迫られ若宮城を急遽築城したという考え方もあるようで、云われてみればかなり荒削りで未完だった現地の印象も実感としてあるのは間違いない。

若宮城見取図①残念ながら北尾根の土手付き横堀は笹藪と灌木に阻まれて今回は調査出来なかった。

調査した場所の写真を見ながら国土地理院の1/25000の地図を加工し概略図を書いていると、主郭から派生する数本の尾根と尾根の間に存在する平場をどうにかしたかったような意図が感じられるのだ。

そう、塩田城が派生する峯に堡塁を置き間の削平地を囲んだように、若宮城も居住空間を守るような意図があったと思われる縄張である。

若宮城 012城域の南西の沢沿いには犬走りのような帯郭を置き、斜面は切岸で加工されている。

【西園寺郭屋敷~本郭までの東南の尾根】

この城のメインは西園寺屋敷とよばれるデカイ郭から北西の司令塔のような主郭へ連なる連梯式の郭と堀切だが、派生する熊手のような他の峰も段郭を多用した防御が見られる。

若宮城 021西園寺屋敷へ続く登り坂。かつての大手道だったか?

若宮城 026尾根に展開する郭としては最大の広さを持つ西園寺屋敷。

若宮城 034西園寺屋敷と高さ1mの段差で連続する郭4。

郭4と郭3の間は傾斜がキツく、元々は切岸のみだったところへ強引に堀切㋐を入れて遮断し竪掘㋑を入れ東平地部の陥落後の攻撃に備えているように思える。

若宮城 031

若宮城 043やはり土塁を伴う堀切㋐。

若宮城 051郭3の手前の竪掘㋑。

郭3は広さはあるものの、削平がイマイチで後から急ごしらえしたような印象がある。
郭4と同じように背後の切岸を削るように堀切㋒を入れているが、南東尾根を遮断するように北へ落としている。

若宮城 052郭3.

若宮城 053郭2との接続部分は削り残したようだ。

若宮城 056南東尾根を遮断する意図の見える堀切㋒。堀切㋓と繋がる。

「真面目に削平していない・・」というと語弊があるが、これから紹介する郭2も「きわめて雑な作り」で未完成だったそしりは逃れないように思える。

若宮城 058郭2。どうしたいのか中途半端だ。

さて、主郭手前の大堀切㋓は専門家の皆さんも見方によっては意見の分かれる部分で興味深い。

確かに郭2との接続部分は堀切で堀底もあるのだが、主郭を囲む周囲の他の面の切岸とあまり角度が変わらない。

土塁を迫り上げる事で遮断する形態は西園寺堀、堀切㋐、㋒で共通している。

村上系に良く見られる「そそり立つような法面を持つ大堀切」ではないようだ。

若宮城 063現在遊歩道の手すりが設置されている堀切㋓。

若宮城 062郭2から見た主郭と切岸全景。

若宮城 067切岸斜面より見下ろした堀底と土塁。

なぜこんな構造になったのか?

主郭(郭1)が独立峰なので、尾根の遮断といってもやりようが無いというのが結論でしょう(笑)

といっても竪掘としては重要な役割を持っているので、東西の斜面に対しては有効な長さを持っている。

若宮城 065西側斜面に落ちる堀切㋓。

さて、ようやく本郭に着きましたよ(笑)

若宮城 068

本郭は方形で二段構成。まさに司令塔という感じ。北面の二辺に土塁を残している。

若宮城 080雑木林が無ければ視界360度は間違いない。


【東尾根】

主郭から切岸を下りて東尾根の調査に入る。本日のメインイベントはここだった・・。

北側に対して塁線を貼る防御構造を見たかったのである。

若宮城 086最初に現れる堀切㋔。

若宮城 088堀切㋖へは痩せ尾根を歩く。

ここで深刻な問題が発生する。

笹藪は掻き分ければ入れるが、棘植物とタラの芽の樹木の防御ラインの恐ろしい抵抗に遭う・・(汗)

棘は手袋や衣服を貫通するので「とにかくイタイ」のである(泣)

若宮城 090我慢して辿り着いた堀切㋖

トゲ刺さりまくりでとうとう進軍停止・・(汗)

「ええい、仕方がない撤収じゃあ!(怒)」背丈まで伸びた棘の藪との戦いは泥沼化と犠牲を覚悟せねば・・(汗)

若宮城 094この先に必見の土塁付きの塁線があるのだ・・・無念・・。

気を取り直して(早っ!)、堀切㋔に接続する横堀㋕へ突入する。

若宮城 100

素晴らしい横堀である。見損ねた東尾根にも長大な土塁付きの横堀があるという。同じ構造だろうか。

若宮城 102横堀㋕から接続する堀切㋔を見上げる。

何でこんな北側斜面に横堀?と思うかもしれないが、北側の斜面が一番傾斜が緩いのである。

ざっと縄張りを見れば「北から攻めたらええやんか・・」この事である(笑)

上信越自動車道が走る北側は、この城の最大の弱点であったのだ。

若宮城 111クーさんの影に怯えた北の斜面。

【北西最大の二重堀切】

ここからトラバースして北西の堀切へ向かう。

尾根を叩き切る唯一の大堀切が見たかったのである。

しかし「なんじゃこりゃー!!(松田優作風のセリフで・・古いなあー)」

若宮城 115堀切㋗から見上げた郭1。

背丈を越える藪漕ぎである(汗) 藪の中を泳いでいるのか遭難しかかっているのかすら分からない・・

せっかくの落差のある巨大な二重堀切見学も「何がなんだか訳がわからない状態・・」(爆)

若宮城 128ようやく脱出して撮影した堀切㋗。無理に落書きしてみた。

命からがら本郭へ帰還。400以上の攻城戦でこんなに酷い藪遊泳は初体験であった・・・(笑)

若宮城 130本郭の外周に残る石積み跡。

【南西尾根】

とにかくデカイ城なんで調べて歩くのも大変である。南西尾根から戻る事にしたのだが・・・。

若宮城 136堀切㋓の西側を並行に降る竪掘。

若宮城 140南西尾根の堀切㋘。

若宮城 141この尾根最大の郭。

若宮城 148舟竹小屋と呼ばれる窪地。廃墟家屋が怖い。

城域の西を抑える尾根は段郭で構成され、舟小屋と呼ばれる窪地を守っているようにも見える。

若宮城 156舟竹小屋から東の大手方面。天然の沢が防御している。写真左側が城域。


【城と呼ばれる東斜面】

熊手のような五つの尾根の間を駐屯地と見れば、この城は荒っぽい作りながら宿城の機能を十分に備えている。

もともとあった要害城を短期間で宿城に仕上げる事が出来るのは大勢力であろう。(そう書いておくのが無難・・笑)

若宮城 171「城」と呼ばれる城域東側の広大な削平地。兵隊の駐屯地という見方が出来そうだ。

若宮城 165西園寺屋敷に守備兵を入れたのだろうか?


若宮城は、芋川氏の要害ではなく上杉氏が天正壬午の乱で新設した砦という意見もある。

では、北へ向けた防御構造をどう説明するのか?

武田信玄の野尻口への拠点として物見台程度の砦が大幅に改修されたと見ても良いがどうだろうか?

答えは百万通りあるような気がします(笑)

その場所に立たなければ見えない答えもあるのかもしれませんネ。

≪若宮城≫ (わかみやじょう 芋川城 城山)

標高:703.3m 比高110m 
築城年代:不明
築城・居住者:芋川氏?
場所:飯綱町芋川若宮
攻城日:2013年5月6日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:若宮集落から徒歩15分
見どころ:堀切、郭、切岸、堡塁
付近の城跡:矢筒城、鼻見城など
注意事項:全部見たいなら晩秋か春先がベスト。
参考文献:「図解山城探訪 第十一集 水内資料編 宮坂武男著」「長野の山城ベスト50を歩く」


若宮城 192東側の台地から見た若宮城全景。









Posted on 2013/05/18 Sat. 22:39 [edit]

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