らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0530

城坂城 (下水内郡栄村堺)  

◆峻険な峰の藪に閉ざされた完成度の高い市河氏の要害◆

全くもって酷い藪漕ぎであった。

春の到来を告げたばかりの北信濃の山奥で「八甲田山死の彷徨」ばりの「栄村藪漕ぎサバイバル」の実行委員になるとは思いもしなかった・・(汗)

その昔は城跡として認知され、城跡への道ぐらいは整備されたのであろうが、里の口伝は潰えたらしく辛うじて発見した登城口も僅か進んだだけで灌木と藪に阻まれ行軍停止の一大事となった。

城坂城(栄村) (2)居館跡を思わせる城坂城の山麓裾野の石垣。水田の土留めなのだが立派すぎる(?)

椿や橘といった常緑樹系の灌木が異様に多く、いつもなら見つかるケモノ道ですら見当たらない。

「藪漕ぎで尾根へ突撃の検討を要す。 比高にして約50m程度。 皇国の興廃この一戦にアリ」(ってZ旗かい)

風も吹かない湿度90%以上の密閉された空間では呼吸も乱れ体内の水分が体温調整のための放熱効果を得るために強制的に放出される。

右往左往しながら立ち憚る灌木の枝の間を抜けて、必死の形相で明日への光を探している・・傍から見たら異様な光景である・・(笑)

「ここは何処?私は誰?」過酷すぎて記憶喪失となる・・・(爆)

城坂城(栄村) (3)郭5から郭6への通路。

馬の背に辿り着き、既に郭5に入っていたのだが、自分たちの地図上の居場所の確認に手間取ってしまう程の疲労困憊だったのは確かだった・・・・・(汗)

城坂城(栄村) (8)東尾根の郭群。

さて、しばし休憩し尾根を西へ進む。

その前に長野縣誌の旧堺村の城坂城の記述と絵図は下記の通りである。

【城坂城】

本村西の間にあり。一孤山の嶺上なり。東西十五間、南北八間、今柴木を生ず。里俗の口碑に、永禄、天正年間、市川筑前守築之。市川氏は上杉景虎の幕下なり。慶長三年上杉景勝奥州會津に移り、後廃城となる。

城坂城絵図

この絵図、なかなかどうして前後の堀切がしっかり描かれている秀作で、変則的な二重堀切を幅広の堀切で描いている。ちゃんと観察して描いた証拠であろう。

城坂城見取図①

【二重堀切㋑と㋒】

郭4の西には変則的な二重堀切㋑が尾根を這うような異形で尾根を遮断している。

スケールは違うが、仙当城の搦め手を遮断する堀切と形状が似ている事に気が付く。

城坂城(栄村) (9)南へ斜面は合流した一本の堀切㋑。

城坂城(栄村) (10)土塁で迫り上げたW底を持つ二重堀切。

城坂城(栄村) (12)西側の堀切㋒。

面白いのは南の沢からY字で二重堀切にして途中を竪掘に分岐し北の沢で一本へ収斂させている。
斜面に落差を付け技巧的な処理である。

城坂城(栄村) (18)ていぴす様と堀切。思いのほかデカイ。

城坂城(栄村) (20)腰郭7との接続部分。

【郭3~大堀切㋔】

城域で最大の面積を持つ郭3は中央に方形の高台がある。

ここから先は藪と灌木に覆われ、調査も困難を極める。白馬村の飯田城を思い起こす・・(汗)

城坂城(栄村) (22)強引に絵を描くとこんな感じの高台。

城坂城(栄村) (26)堀切㋓。あんまり意味無いような気もするのだが・・。

進退極まるような藪で、この先へ進むのも迷ったが恐らく二度と来ないので突き進む事にした(笑)

城坂城(栄村) (29)削平が曖昧なのか、地山の削り残しがある。樹木が無ければ大堀切の岩盤が「ガン見」出来る位置。

藪漕ぎ必死こいて、ようやく城坂城最大の大堀切㋔とご対面が叶った。

城坂城(栄村) (32)

城坂城(栄村) (34)堀切の法面に不可解な削り残し。

城坂城(栄村) (30)堀切越しに見る主郭方面。


【主郭~西尾根】

ここがこの城のハイライトなのに、背丈を越す藪・藪・藪・・・・・(怒)

何も見え無いし、撮影しても何が何だかワタシニハワカリマセン・・・・(悔)

城坂城(栄村) (38)郭1。ハイ、ご愁傷様です。

この郭に接続している郭2は周囲を土塁で囲まれ虎口まで残る「アナグラ」なのだがそれすら見えない。

何も見えない穴に突入するのはハイリスク過ぎて断腸の思いで諦めた。

僅かなスキマから藪漕ぎを続け堀切㋕へ辿り着く・・・(汗)

堀切㋕は堀底の両サイドに土橋を置き、中央に天水溜めのような石組の遺構がある。

城坂城(栄村) (39)ひどい落書きである(笑)

城坂城(栄村) (40)天水溜めであろうか?

そして西尾根方面の堀切㋖。これが結構深くて迫力があった。

城坂城(栄村) (44)

城坂城(栄村) (46)堀底を調査している「ていぴす」さんを上から目線で撮影(爆)

千曲川へ続く北方面は深い渓谷なので、斜面伝いに攻撃される心配は皆無だ。善光寺街道方面の西尾根が最も警戒すべき場所なので、二本の堀切でを置いている。

でも、縄張りは南斜面への拡張と防御を強化している。何を意味しているのだろうか?

小箕作川が刻む渓谷は野沢温泉へ続く古道が走っている。市河氏は一時期「野沢の湯」へ撤退し失地回復を試みてゲリラ戦を展開したという。それに関係あるかもしれない。

城坂城(栄村) (48)野沢温泉へ続く間道があったという泉平方面。

城坂城(栄村) (50)南斜面に鋭角に落ちる堀切㋖


【南尾根の郭群】

堀切㋖から南斜面をトラバースして郭8と9へ向かう。

途中に三本ほど畝竪掘がある。上杉さんちの改修だろうか?

城坂城(栄村) (53)竪掘(に見える?)

城坂城(栄村) (54)郭10.土塁にテラスと呼ばれる平地を伴う北信濃特有の構造だとか。(下から見上げてます)

南尾根は大手方面を守るために増設されたのだろう。東尾根の郭は削平されただけだが、ここの郭は土塁を周回させ、間に堀切を穿つ周到さ。

城坂城(栄村) (55)郭8。もう藪はタクサンだ!(汗)

城坂城(栄村) (59)

城坂城(栄村) (60)堀切㋐

戦国時代の後期は大手から堀切㋐に入り、郭1・2・8・9・10が主に使用されたような気がする。

しかも上杉さんの新設か大規模な改修というのが前提に思える。

城坂城(栄村) (61)堀切の法面に残る石積み跡。

城坂城(栄村) (62)郭9。南側には土塁が無い。


さて、ツラツラと取りとめのない攻城記になってしまったが、城坂城の城歴については諸説がある。

・市河氏の箕作館の詰め城説、上杉さんの新地取立て説

藪の中を這いずり回った感想は「上杉さん、手を入れましたなあー」ってところでしょうか。

仙当城整備されたんで、次は城坂城も是非整備してもらいたいものです。


≪城坂城≫ (じょうさかじょう)

標高:395.5m 比高125m 
築城年代:不明
築城・居住者:市河氏? 上杉さん?
場所:下水内郡栄村堺
攻城日:2013年5月19日 
お勧め度:★★★★☆ (藪が無ければ満点だったかも)
城跡までの所要時間:30分
見どころ:二重堀切、大堀切、土塁、畝堀など
付近の城跡:仙当城、白鳥城 
注意事項:藪と戦う勇気と覚悟と度胸と体力が必要。オフシーズンは無理。地図とコンパス必携。
参考文献:「図解山城探訪 第十一集 水内資料編 宮坂武男著」

城坂城(栄村) (1)東山麓からみた城坂城。










スポンサーサイト

Posted on 2013/05/30 Thu. 10:24 [edit]

CM: 8
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top