らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0620

八反田城 (佐久市平賀瀬戸)  

◆在地土豪の崖淵城館の旧態が観察できる遺構◆

平地の城館で掘り出し物を求め、再び佐久地方を彷徨ってみた。

「思いつきで部下にモノを言い付ける上司」だったので(笑)、思いつきで出掛けるのはいつもの事である(爆)

八反田城・・・あまり期待していなかったのだが、フリマで偶然ゲットしたEdwinの古着のような懐かしさがあった。

八反田城(佐久) (2)志賀川に接する郭4には金比羅社がある。

このお城、地図はあっても場所が良く分からず志賀川沿いの怪しい場所をテキトーに歩くハメになったのだが、嗅覚が鋭いのか偶然なのかビョーキなのか?案外と的中するのであった・・・(笑)

八反田城 見取図(佐久市)

場所を確かめようにも人がいない(汗)

まあ、金比羅様があるんで四の郭みたいだし、怪談階段登ってみますか。

八反田城(佐久) (4)

「ピンポーン、正解です!」

しかし、藪が酷過ぎて削平地など確認出来ない。北からのアプローチに切り替える為に退却する。

八反田城(佐久) (7)郭4の西側。通路の左は屋敷跡と云われているので、この道が堀切だった可能性がある。

【城主・城歴】

長野縣町村誌(大正十一年)の瀬戸村(平賀村)の「古跡」に記載は無いが、「管轄沿革」にこの地を治めたという平賀氏と上原筑前守について若干記載がある。

「(前略)・・天正雑記に大井城主大井氏親之部に、平賀某あり。平賀氏より分かれて、平賀に居城し、平賀庄を領せしと見ゆ。後事不詳。天文九年五月武田信虎、本郡へ侵入し、三十六城を陥る。諸将多く降る。同十五年八月武田晴信志賀城、同十七年田口城を陥る。上野国羽澤市川氏の文書に撚れば、此時本郡諸将、武田氏に叛くを以って、晴信大擧して之を平治すと見ゆ。專に本村武田氏の領となり、其の幕下、上原筑前之を領す。永禄十一年九月見地帳あり。・・(後略)」

八反田城(佐久) (8)民家のある場所も含めて三段で構成されたという上原備前守屋敷跡(郭5)

上原筑前は平賀氏の一族という説と、晴信が上原城から連れて来た国人だという説があり謎の一族のようだ。

八反田城(佐久) (9)道路になった堀切㋔。

佐久地方の城址を訪れて感じるのだが、堀切が道路(または農道)になっているケースが圧倒的に多い。

深く考える事は無かったのだが、佐久地方の城郭の堀切は防御施設というよりは、物資運搬の通路または兵士の移動用の通路として設置されたのであろう。(これは独断と偏見だが・・汗)

八反田城(佐久) (11)北側からアプローチしたが結局侵入出来ずに終わった郭4の遠景。

志賀川を南に臨む河岸段丘に築かれた城は、領域こそ広くないがそこそこ防御をキチンと計算した城だった事が良く分かる。

八反田城(佐久) (12)城域の西側。

道路となった堀切㋔の東側は住宅地となっているが、往時は志賀川の河川敷で居館や城下町を形成するには困難を極めたのかもしれない。

八反田城(佐久) (14)堀切㋔と東側の崖淵の処理(段郭)

【主郭とその周辺】

八反田城の主郭は何処か?というのが問題になる。

背後の堀切の大きさや隣接する居館(郭5)と南端に張り出している事を考えると、郭4は妥当な考えだ。

でも、八幡社とゲートボール場のある場所は後世に改変された事を差し引いても、その背後の堀切を見ればここが城の中枢だったことを物語るに十分である。

八反田城(佐久) (19)中屋敷と呼ばれる南側から見た八幡社の登り口。

八反田城(佐久) (21)大鳥居のある場所と階段の中段部分も腰郭だったようだ。

八反田城(佐久) (24)八幡宮の社殿の周囲は後世の改変。

八反田城(佐久) (29)ゲートボール場+社殿が主郭だったか?

ここで区民の皆さんに敬意を表したいのは、「土手付きの堀切㋐」を綺麗にそのまま遺して頂いた事である。

城址と知っていなかったとすれば、起伏に富むコースとしてワザワザ残されたと見るべきであろうか(汗)

これが無ければ八反田城は恐らく「推定」という言葉が付いて回ったはずだ。

八反田城(佐久) (32)南側から見た土手付きの横堀㋐。

八反田城(佐久) (31)横堀㋐の南側は社殿建築時に改変され埋められたと思われる。

八反田城(佐久) (35)農道が通る部分は堀切㋓であり、塁線を示す土塁があったと思われるが耕作化により消滅したようだ。

「へえー、こんなに残っているとは奇跡かもしれない・・・」

付近のリサーチパークにあったはずの中峯城は工業団地の造成により消滅した。発掘調査すら行われていない。

税収を上げるための開発優先だとしたら、「オカシイだろう、佐久市そして長野県!真面目に調査したらどうだ! 高速道路以外ならシラバックレテ抹殺するのか!(怒)」

八反田城(佐久) (41)方形に近い郭2。

ここに堀切(横堀)㋑があるのだが、埋没しかけている。

八反田城(佐久) (42)北へ入る堀切㋑。

500年の歳月を耐えてきた山城には、いつも特別な思いがある。

この先500年、この遺構を保存し続けて未来へ伝えられるのか? 複雑な思いでもある。

八反田城(佐久) (49)郭2の北側に隣接する郭3.

八反田城(佐久) (48)城域で最大の面積を誇る中段の郭3。

八反田城(佐久) (51)堀切㋒の北側は道路で破壊されたが、城域は辛うじて難を逃れた。


「申し訳ない、また生き延びたようだ・・」

現地に立つと、そんな声が聞こえる。

「もう少し頑張りましょうか・・」

八反田城(佐久) (54)城域を区画する堀切㋒。

ともすれば標高の高い場所にある山城ばかりに脚光があたるが、麓の城館にも技巧を凝らした素晴らしいものがある。

「ちょっと トクしちゃったネ(笑)」 八反田城は掘り出し物だった・・・。

≪八反田城≫ (はったんだじょう)

標高:685.0m 比高15m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市平賀瀬戸
攻城日:2013年6月16日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間5分 駐車場:路駐
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:私有地への侵入はご法度。
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」

八反田城(佐久) (59)幻の中峯城付近から見た八反田城。









Posted on 2013/06/20 Thu. 22:11 [edit]

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