らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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信濃の山城と館➎  

◆南信濃の小豪族が辿った運命を探す旅に出掛けたくなる一冊◆

諏訪地域や上伊那・下伊那は早い段階で武田に侵略されてしまったせいか、人気としてはどうしてもイマイチ感がある。

山城や砦群も「村上VS武田」そして「仁義なき泥沼化した甲越戦争」が展開された北信濃、「天正壬午の乱」で「小笠原VS上杉」が熾烈な領土争奪戦を繰り広げた中信濃に有名どころが集中している。

いやいや、そんな事は無い。この本を買って是非上伊那へお出掛けして欲しいのだ。

信濃の山城と館⑤扉

【伊那谷の城館群とその特徴】

伊那谷には上伊那・下伊那合わせて300を超す山城と館が存在する。その多くは伊那谷の地形、大小河川、特に天竜川の河岸段丘(かがんだんきゅう)を利用したものである。また、支城・属城をいくつも持つ豪族(片切氏・松岡氏・小笠原氏)が多いのも特徴といえる。

蟻塚城 (17)諏訪神氏(みわし)の流れを汲む笠原氏の蟻塚城。後方の山頂に守屋山城がある。

【南信濃の中世~戦国時代】

伊那源氏の祖とされる源為公(ためとも)は、後三年の役(1083~87)の功労により朝廷から箕輪付近の領地を賜り、上の平(箕輪町南小河内)に居を構えたという。(現在の上の平城跡)
その後、為公の子孫は各地で活躍し、片切氏、大島氏、名子氏、前澤氏、赤須氏、飯島氏、岩間氏らに分かれ繁栄したという。

戦国時代、南信濃の飯田方面に勢力を拡大した知久氏はもともとは箕輪の上の平に土着したのだという。(諏訪神氏の出自といわれる)
しかし、何故知久氏が箕輪を去ったのかは不明らしい。(武田に抵抗した知久氏の悲劇はいずれまたご紹介したいと思う)

守屋山城 (92)高遠への入り口を守った守屋山城。

武田氏の征服以前の上伊那は、高遠頼継が諏訪惣領家へ介入したり、守護職だった小笠原氏の惣領家争いに巻き込まれたり不安定だった。

福与城 (1)府中小笠原長時の義弟の藤沢頼親の福与城。

天文十四年(1545)四月、武田晴信(信玄)は杖突峠を越えて高遠に頼継を攻め、そのまま藤沢頼親と伊那衆の籠城する福与城を囲む。

50日間持ちこたえたが、小笠原の後詰めが無い事を知った藤沢頼親は和議を申し入れて武田方に城を開け渡した。

この時点で上伊那は武田の占領地となり、高遠城は軍事行政の拠点として武田流の築城方式の城として大改修され、船山城や飯島城も武田流として手が加えられたという。

謎の天守?高遠城の謎の天守閣(笑)

山田城・新城 (16)山田城の主郭。


偉そうに書いてきましたが、一部の山城を除き、上伊那はほとんどが未体験ゾーンでございます・・(汗)

「しょうがねえなあー、道案内ぐらいはしてやるか」と男気のある方はご連絡をお待ちしております(マジで)

出来れば、クーさんと出逢う可能性大の晩秋にお願い出来れば・・・(ってか、いるかそんな物好き!)

信濃の山城と館⑤裏


【信濃の山城と城館 第五巻 上伊那編】

発行:2013年6月20日初版初印発行

著者:宮坂武男

発行者:伊藤光祥

発行所:戎光祥出版株式会社

収録城館数:222

詳細:http://www.ebisukosyo.co.jp/books/history_sinano-yamajiro5.html

定価:7,500円+税  限定400部 ※売り切れ必死だ、急ごう!!

貝沼の物見や城 (54)「貝沼の物見ヤ城」の主郭にある朽ち果てた標柱。ここを攻めたら拍手喝采!表彰状を差し上げます(爆)







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Posted on 2013/06/17 Mon. 06:00 [edit]

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