らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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駒形城 (佐久市塚原)  

◆神社が先か?砦が先か?◆

この砦、大した規模でもないのにお城好きサイトには必ずといっていいくらい掲載される。

駒形神社のご利益であろうか・・(笑)

駒形城(佐久市) (1)

今さら小生が掲載しても何の新鮮味も無いが、「神社が先か、砦が先か」の論争に発展すれば幸いである。

場所は佐久市塚原と塩名田の堺で千曲川の東の河岸段丘を利用した場所に立地している。

駒形城(佐久市) (4)砦の南側は河川の浸食による渓谷になっている。

長野縣町村誌「東信編」(昭和六十年再販)の塚原村の項目で、駒形神社は以下の説明がある。

【駒形神社】

社地東西三十四間、南北十六間、面積一反六畝十五歩、村の北の方角下塚原村にあり。祭神宇気母智命(うけもちのみこと)。創立年月不詳。寛永年間大井某再建すと伝、祭日八月二十五日。除地高三斗五升二合、維新の際上知す。社地中に馬蹄双跡の奇石あり。

神社仏閣は専門外なので、何のことやらさっぱり分からない・・・(汗)

今度お取引先の神話のスーパーバイザーに教えを請うとしよう(笑)

駒形城(佐久市) (33)

そんでもチョッとだけ調べてみた。

「宇気母智命(うけもちのみこと」とは日本神話に登場する神の「保食神(うけもちのかみ)」をさし、食物神とされる。彼女の頭からは牛馬が生まれ、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれたとされる・・(いったいどんな体の構造だったんだろうか・・汗)

東日本に多数ある駒形神社は、馬の神として保食神を祭っているのだという。

しかもこの神社には馬に跨った男女の像を安置しているという。佐久地方は良質な馬を朝廷に献上した信濃の牧の一つであり、古くから崇拝されたのであろう。

駒形城見取図①

駒形城の城歴については全く不明である。木曾義仲の四天王として活躍した滋野一族の根井行親(ねのいゆきちあ)の道本城(どうほんじょう)が東3kmの位置にあるので、牧場経営に手腕を発揮した根井一族と関連があるかもしれない。

駒形城(佐久市) (41)社殿から見た東側。

駒形神社の本殿は重要文化財で、神社脇の説明板に再建は文明(応仁)十八年(1486年)頃とし、それを肯定している。

誰が再建したのか?というのが問題になる。

駒形城(佐久市) (7)郭の東隅に残存する土塁。

実はその二年前、佐久で伴野氏と覇権を争っていた大井宗家は、佐久への版図拡大を狙う村上氏に攻められ本城としていた王城は落城、城下町も灰燼となり辛うじて小諸へ逃げ名門大井氏は滅亡した。
この時に岩尾城も攻められ落城しているので、駒形神社も戦火で焼け落ちたのだろうか。(あくまで推測)

駒形城(佐久市) (10)通路にはなったが綺麗に残る横堀
(南側より撮影)

小笠原系大井氏の流れを汲むのが耳取城の大井氏であり、その領域の南は塚原・塩名田付近と推定される。
最南端の見張り砦(一説には耳取大井氏の初期の居城とも)五霊城(ごりょうじょう)から西800mの駒形神社が接収され、耳取城の大井氏が再建したとみるのが自然のような気がする。

駒形城(佐久市) (9)南の沢へは竪掘となって続く。

由緒ある神社なのは結構なのだが、その為にわざわざ単郭と切岸を構築するのであろうか?

少なくとも神社背後の横堀の東には詰所とよばれる郭があったのだろう。耕作地で改変されてしまったが、現地を見れば何にかしらあったような気がしてならない・・。

駒形城(佐久市) (11)

佐久有数の大きな城館一体型の居城を構えた耳取城主の大井氏は、武田晴信の佐久侵攻に際し徹底抗戦を唱えた他の大井系列とは別の道を選択した。

天文十二年に配下の平尾氏と共に武田の軍門に降りたのである。

死してなお武田に叛く佐久衆もあれば、苦渋の末に領民の苦痛を回避する方策を選んだ佐久衆もいたのである。

駒形城(佐久市) (18)北の廃水処理場の脇から遊歩道があり、駒形城の郭を周回出来る。

駒形城(佐久市) (20)駒形城の北斜面。切岸で加工されているのがわかる。

天正十年(1582)に武田が滅び天正壬午の乱が勃発すると、大井氏も平尾氏も徳川方となった依田信蕃に従って転戦する。

駒形城(佐久市) (22)北斜面を激流が流れる。

北条方に身を寄せていた大井一族の大井行吉は岩尾城を奪還し、依田信蕃相手に徹底抗戦を実行する。

話は長くなりそうなので、依田信番さんの軌跡については岩尾城を参照願います。

駒形城(佐久市) (24)主郭西の切岸。

「臥薪嘗胆」 小生の好きな四文字熟語である。

事実かどうかは知らないが、武田に屈した信濃の国人や土豪は、戦時においては信濃先方衆としてこき使われ、平時においては労役を課せられ、辛酸をなめて来た。

信州人の根幹には戦国時代の被征服地だったマイナスのDNAが流れているのかもしれない。

こんな取るに足らない小さな砦にすらマイナー並みの記事と写真を掲載する。

戦国時代を駆け抜けた遺構に対する僕なりの「こだわり」だと思って頂ければ幸いです・・・(笑)

駒形城(佐久市) (38)小河の合流する箇所にも小さな武者溜りが存在する。


≪駒形城≫ (こまがたじょう)

標高:659.0m 比高12m 
築城年代:不明
築城・居住者:根井氏?大井氏?
場所:佐久市塚原
攻城日:2013年6月16日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間5分 駐車場:路駐
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:重要文化財につき火気厳禁。
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」 「長野縣町村誌東信編」
付近の城址:岩尾城、道本城、五領城など

駒形城(佐久市) (14)きっと居館、あったんでしょうネ。





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Posted on 2013/06/23 Sun. 20:42 [edit]

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