らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0710

池端城 (佐久市新子田)  

◆三方を丘で囲まれ外堀を宅地造成で埋められた居館跡◆

信州に住んでいると「涼しい」とか「爽やか」というイメージが付きまとうが、夏は全国1、2を争う最高気温になる。

週明けは灼熱地獄の毎日が続き信州どころか、「ここは日本なのか?」とすら思う・・(汗)

池端城 (1)城裏稲荷神社(しろうらいなりじんじゃ)とは珍しい名前である。

云われてみればなるほどと思うぐらいブログの最初の写真は神社が圧倒的に多い。

「御朱印集め」という趣味を同時進行させればかなりの数が収集出来そうなのだが、その領域には踏み込めないようだ。(実際、御朱印帳まで買ったのだが・・・笑)

で、今回ご紹介するのは住宅地の片隅に辛うじて残る池端城。

池端城 (4)新興住宅地の中に佇む神社。

城裏神社の碑文には以下の記載がある。

「当神社は農桑の粗神祖神の稲倉魂命を祀り南西に城があったことから城裏稲荷神社という。(中略)当神社の北側は権現平遺跡 南側は池端遺跡で知られている。この地区を有限会社新栄開発が開発を手掛けその後セキスイハイム信州株式会社が宅地造成をするに先立ち、平成六、七年の両年度に両遺跡とも開発するに当たって道路となる部分と削平される部分の調査が行われた。それ以外の部分は土盛りがされ、地下に保存されている。

調査された集落は五つの時代のもので、約六千年前の縄文時代前期、約千五百年前の古墳時代の前期、約千三百年の古墳時代の後期、約七百年前の平安時代の後期、十六世紀の戦国時代のものであった。

この地には中世に池端城があった伝える事当神社含めかなりの面積が未調査で保存されている事などから、城か舘などが存在する可能性は遺されている。(後略)」

池端城見取図①

最近、見取図の作成にはYahoo地図の地形図表示を利用しているので、印刷すると地形の凹凸が黒くなる。泣きながら描いているのではないので、ご心配には及びません(笑)


城域は周囲をコの字型の丘陵に囲まれ、開放された西側は霞川を天然の堀とした要害の地である。

池端城 (5)「城の内」と呼ばれる現在の耕作地。

宅地造成に伴い、城裏稲荷神社の西側にあったらしい堀は壊滅し何の痕跡も無い。神社の切岸が往時の堀の一部だったのだろうか。

新しい住宅街でカメラを持って神社に参拝し徘徊するのはかなり勇気がいる(汗)

そそくさと城址と推定される耕作地を周回してみる。

池端城 (9)南側の農道はかつての堀跡らしい。(農道の右側が城域)

城主、城歴は全く不明らしい。

ここから北西約1kmに燕城、南西800mに浅井城と鳥坂城、東1kmに志賀城があり、周辺の諸城との関連した土豪の居館だったと思われる。

池端城 (12)城域西側の切岸と推定堀切跡。

池端城 (14)郭の西端の切岸。往時ものであろうか。

宅地造成に伴う遺跡の発掘調査では、古墳、竪穴式住居跡、縄文土器、土師器、須恵器など古代から中世にかけての遺構や遺物が多数発見されたという。

鎌倉時代ごろまでは居館が構えられ、この地域の中心だった可能性はあるのかもしれない。


≪池端城≫ (いけのはたじょう)

標高:707.0m 比高6m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市新子田
攻城日:2013年7月6日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:路駐
見どころ:切岸、堀跡
注意事項:住宅地につき撮影注意
参考文献:「信州の山城と館① 佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:浅井城、燕城、鳥坂城など

池端城 (13)三方を山に囲まれた隠れ家的な場所にある。









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Posted on 2013/07/10 Wed. 09:36 [edit]

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