らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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道本城 (佐久市根々井)  

◆木曾義仲軍団を支えた根井行親の居館跡◆

小生の住む上田市は一昨年まで「木曾義仲」に関する史跡整備が行われ、史跡巡りコースまで制定された。

しかし、昨年から「真田十勇士」という大正時代の創作物語の架空キャラに公費まで投入して一大イベントを展開している。ちょっと前まではアニメ映画「サマーウォーズ」に乗っかってアニメの聖地巡礼地として名乗りを上げていたので記憶している方も多いかと思う。

全く一貫性の無い街で情けない。「真田幸村の居城だった上田城」などとポスター宣伝するアホさ加減も然り。

幸村公も草葉の陰でお怒りの事とお察し申し上げる次第でございます・・(笑)

道本城 (7)道本城跡に建つ根井氏居館跡の石碑。

情けないのは長野県も同罪であろうか。

この石碑を見て「おやっ、??」と思った諸氏はさすがの猿飛びである・・(古っ 笑)

今回ご紹介するのは昭和40年に正法寺に転居(?)する前の根井氏居館跡・・・「道本城」(どうほんじょう)

道本城 (27)台地上の城址から見下ろす湯川。

道本城は根々井集落の背後、塚原台地が湯川に面する崖淵に立地している。塚原の広大な原野は根井氏の私牧の跡で、集落は台地の下と蛇行する湯川の間に形成され中世の面影を色濃く残している。
集落へ下る坂は「市坂」(いちさか)と呼ばれ居館と連結する道となっている。

道本城見取図①

冒頭でも述べたが、木曾義仲軍団の四天王で最大の実力者として名高い根井行親(幸親)の居館は、太平洋戦争前までは道本城であるとされ、城址の標柱には昭和十四年三月と刻まれている。

今でこそ水量も少ない河川に変わり果てた湯川だが、護岸工事などの治水事業が行われるまでは「暴れん坊将軍」として、その川床を変化させ千曲川と挟まれる集落に度重なる水害をもたらしたに違いない。

道本城 (4)アパートから東が郭の跡であり、南側に広大な堀切の跡が辛うじて残っている。

道本城 (5)

居館跡は湯川がカーブする崖淵上の台地にその痕跡が僅かに残る。160m×40mの長方形(40×40の方形+副郭とも?)の外側に10mの堀切を巡らす回字形で、木曾義仲時代の頃の城館の縄張りに共通しているという。

宮坂武男氏も「信州の山城と城館➊佐久編」で推測している通り、長い間の湯川の氾濫と河床の増幅により城域の南側が削られてしまったようだ。

道本城 (16)道本城の南面の湯川の断崖。

【城主・城歴】

根井氏については、「定本佐久の城」(郷土出版社1997年)の木内寛氏の記述が非常に分かりやすいので下記に引用する。

根井氏は行親の父望月国親のころ、根々井に定住して根井氏(ねのいし)を称したと伝えている。塚原の原野に広大な私牧を経営することによって、急力名騎馬軍団を保有する武士階層に成長していっあものと考えられる。下塚原の駒形神社(本殿は国指定重要文化財)は官牧望月牧の東の守護神というのが通説であるが、根井氏の私牧の守護神として祀られたものと考えるほうがより自然である。根井氏に限らず私牧を経営して強力な騎馬軍団を保有した佐久の武士団が、やがて木曾義仲軍の中核となって大活躍するのである。

根井大弥太行親(小弥太幸親)の名が初めて登場するのは保元の乱(1156)で、後白河天皇の側に与した源義朝に従って惨事ン氏、海野太郎・諏訪平五・木曾中太などの仙当に立って奮戦したが、敵の放った矢に当たって負傷落馬した(保元物語)。

木曾に逃れて中原兼遠にかくまわれていた木曾義仲が、治承四年(1180)以仁王の令旨を得て、依田城(上田市御岳堂)に兵士追悼の挙兵をするや、行親はいち早くこれに参画した。養和元年(1181)依田城を出た義仲は横田河原(千曲市)で、平家方の越後国人・城長茂と戦ってこれを大破して以後、北陸路を転戦して京都に入る。そして、水島(岡山県)の戦いに敗れたのを機に劣勢に追い込まれた義仲は、寿永三年(1184)一月近江国(滋賀県)粟津で戦死するが、行親は義仲の死に先んじて京都三条河原で戦死するまで、常に義仲郡の中枢であった。

道本城 (19)居館跡。根井氏の居館としてはちと狭いようだが、浸食によりかなり削られたのであろうか。

【謎の根井氏居館】

根井館(長野県史跡)は道本城から南東500mの正法寺周辺地籍とされているので、訪れた方も多いと思う。

標柱と供養塔があるだけで、周辺をくまなく歩いても居館の痕跡など何も残っていないので、がっかりした方が多いのではないでしょうか。

その辺のお話は次回掲載予定の「根井舘」でお話しようと思います。

道本城 (24)東側から見た城域。堀の巾がデカイのはこの地方の城館の特徴でもある。

道本城 (36)アパートの駐車場の南側(墓地との境)にも堀の跡がかすかに確認出来る。

木曾義仲が討死し根井氏も途絶えると、佐久地方は小笠原系大井氏が入植しこの地に勢力を伸ばしていく。

主を失った道本城もその頃には既に廃城になっていたと思われる。

根々井集落道本城の西側から見た根々井集落と推定居館跡。

領主の屋敷が領民よりも低い土地にあり、しかも氾濫する湯川沿いにあるとは考えられない。

高台から領民を見下ろし、隣接する牧場が見渡せる道本城こそ城館にふさわしい立地だと思うのだが・・・。

それと、この後に訪問した落合城はこの城にソックリだった。(ちょっとビックリ!)

≪道本城≫ (どうほんじょう)

標高:684.0m 比高17m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市根々井
攻城日:2013年7月6日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:路駐
見どころ:かすかに残る堀跡、郭跡・・微妙だ。
注意事項:住宅地につき撮影注意
参考文献:「信州の山城と館➊佐久編 宮坂武男著 2012年」「定本佐久の城 郷土出版社 1997年」
付近の城址:根井氏居館、落合城、岩尾城、駒形城、今井城など

堂本城遠景南から撮影した道本城遠景。崖淵城である。

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Posted on 2013/07/14 Sun. 11:06 [edit]

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