らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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今井城 (佐久市鳴瀬)  

◆今井兼平の居館か土豪の城か?◆

一見するとノホホンとしているような佐久地方の城館も、いざ彷徨ってみると結構面白いので、今しばらく「らんまる夏休みの宿題 佐久編」にお付き合い願えれば幸いである(笑)

で、今回ご紹介するのは義仲繋がりの第四弾「今井城」。

今井城 (1)今井集落に入ると入り口看板があるので適当に路駐して進めば城域である。

今回も「定本 佐久の城(199)」の木内氏の紹介文が秀逸なので、そのまま引用させていただく。

今井城は今井集落の西南隅、千曲川の断崖上に構築された三角形状の崖際平城で、千曲川とこれに落ち込む深い谷に二方を限られ、東方は三重の堀切で隠されている。三角形の頂点にあたる「城」地籍が主郭で、東北隅の土壇上にある祠は鬼門除けとみられる。7現在今井新海社に移されている羽黒社は、二郭の崖上にあったものと伝え、三郭には馬場跡や「馬乗り石」とよぶ大石も残る。

今井城見取図①
城の東北に隣接する今井の集落は、東西に走る道路の両側に人家があり、道路から南北に分岐する小路は相互に僅かずつずれていて、中世特有の村落形態を残している。

今井城 (2)回字形なら本郭は郭2であるが、主郭は1でしょう。

村名が「今井」であること、集落の西方には「義仲屋敷」という伝承地名があり、また、二郭無いにあったという羽黒社は今井四郎兼平の屋敷守であったと伝えられていることなどから、今井城を木曾義仲の武将の一人、中原兼遠の子四郎兼平の居城とする説がある。
しかし、今井兼平の名字の地は佐久の今井のほかに、諏訪郡今井(岡谷市)、筑摩郡今井(松本市)、更級郡今し(長野市川中島)があり、歴史的状況から考えると諏訪郡の今井が比定地としてはもっとも可能性が高いとするのが通説である。

これを城の縄張でみると、木曾義仲時代の道本城や落合舘とははっきり相違しており、むしろ戦国時代前の土豪の崖際平城の姿をしている。

(定本 佐久の城 1997年 郷土出版 木内寛氏の記述を引用)

今井城 (3)巾10mの堀㋒。既に消滅寸前。

今井城 (6)東の渓谷へつながる堀切㋐。往時はもっと深かったと思われる。

郭3に住居を持つご婦人に今井城の標柱の場所を教えて頂くが、案の定「城跡って言っても何もないけど・・」

そりゃーそうだよね、こんな場所に高石垣と五層の天守閣があったら「おったまげ」ですもの・・(笑)

今井城 (7)この標柱を見ると佐久市教育委員会のやる気の無さを感じる。(城跡碑は東側の入り口にあるらしいが)

今井城 (10)「城」という地籍の郭1。

トラクターで畑を耕していたオジサンに見学の許可を貰うが、明らかに変人を見る目つきだった・・・(汗)

「イイ歳したオヤジが畑とお墓見学??」そう思われたのだろうか・・(笑)

今井城 (14)堀㋐の崖淵から見た千曲川の堰堤。

今井城 (19)南側からみるとこんな感じ。

木内寛氏のご指摘の通り、今井城は木曾義仲時代よりもずっと後で戦国初期の縄張りのようだ。

城を囲む集落や道の作りも含めて考えると室町時代という感じである。

今井城 (22)郭3の南側には堀跡が残るという。

今井兼平の居城という説もあるが、規模もデカ過ぎでその可能性は無いと思われる。

木曾義仲の滅亡と共に没落した根井氏の後に入部した大井氏関連の崖淵城と見るべきであろうか。

近隣の岩尾城との関係も解明されるといいのですが・・・。


≪今井城≫ (いまいじょう)

標高:669.0m 比高:28m(千曲川河川敷より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市鳴瀬
攻城日:2013年7月6日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:路駐
見どころ:郭跡、堀跡
注意事項:特に無し
参考文献:「信州の山城と館➊佐久編 宮坂武男著 2012年」「定本佐久の城 郷土出版社 1997年」
付近の城址:道本城、根井氏居館、岩尾城、駒形城、落合城など


今井城 (23)郭2の北側を遮断する堀㋑。圧巻だ。












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Posted on 2013/07/21 Sun. 08:07 [edit]

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