らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0722

繰矢川城 (小諸市乙女)  

◆~をとめの姿しばしととめむ~◆

場所は小諸市周辺へ移るが、北佐久でもうしばらくお楽しみ頂ければ幸いであります・・。

繰矢川城 (26)鉄ヲタブログではありませんがー。

「天津風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」 (作社:僧正遍照)

乙女と云えば、この百人一首を思い起こす昭和の人種である(笑)

この地名、さぞかし清純な少女の昔話が地名の由来と思いきや、全く違うのである・・(汗)

繰矢川城 (27)JR小海線の乙女駅の駅舎(?)

「おとめ」の語源の由来について、宮坂武男氏は「信濃の山城と館➋」のコラムで以下のように記載している。

監視に関わる地名に「おとめ」がある。乙女、乙女滝、乙女平などと言われるが、これは「大遠見」(おおとおみ)が訛って出来た地名である。つまり、見晴らしが良い物見が置かれた場所で、結構あちこちにある。
諏訪の北山に遠見場というそのままの地名が残る例もあるが、大遠見を乙女と言ったところが面白い。耳で聞いた言葉に、知っている字を当てはめるから、まったく関係の無い遠見と乙女が結びついてしまうのである。
意味なんかどうでも、音さえ合っていれば用が足りるから、適当に字を当てはめる。
昔の人はおおらかなものである。

そんな雑学を学んだところで今回ご紹介するのは小諸市乙女にある「繰矢川城」(くりやがわじょう)。

乙女地籍にあるので、宮坂氏は「繰矢川乙女城」と呼ぶべきであろうとおっしゃるが、「異議無し!!」(笑)

繰矢川城見取図①線路部分も堀切だった可能性は捨て難い。


【立地】

浅間山の外輪山である剣ヶ峰に源流をもつ繰矢川(くりやがわ)は広大な浅間の山麓を浸食し平原を通り、途中で小河川との合流を繰り返して太くなり、最終的には千曲川に合流する。
千曲川への合流手前で糠塚山(746m)に阻まれて大きく蛇行する場所があり、その浸食された台地に繰矢川城は築かれている。
南佐久から塚原の台地を経由して小諸へ入る現在の県道139号線は往時も重要な街道の一つであったという。

繰矢川城 (1)乙女跨線橋から見下ろした乙女駅と繰矢川。

乙女=大遠見という地名からすると、監視するには絶好の場所と思いたいのだが見晴らしは良くない・・(汗)

信玄の「烽火かがり」には隣接する「糠塚山(ぬかづかやま 746m)」が烽火台として伝承されている。そこからの見晴らしは素晴らしいので、乙女とはこの小山だったとも考えられている。


実はここから1km北の加増集落の高台に本家本元の「乙女城(大遠見城)」がある。
まあ、次回のお楽しみという事で・・・(笑)


【城主・城歴】

全く不明らしい。付近には加増城、柏木城、与良城があるが関連も不明である。

繰矢川城 (9)郭2と郭1の間の堀跡。いつもなら壁を乗り越えるのだが、ここでやったら留置場送りであろう・・(爆)


繰矢川城 (13)途中で埋められた郭1と郭2の間の堀跡。(東側)往時は貫通していたようだが、現在は途中で埋まっている。

小海線が走っているものの、そんなに大きく破壊したとは思えないし、現在の線路部分も堀割りがあったとしてもおかしくない縄張りである。

残念ながら郭1は藪が酷くて突入出来る状態ではなかった。

駅からの乗降客の人目もあるので、怪しさMAXである。乙女達の痛い視線もあるし・・・・(笑)

繰矢川城 (28)郭1には魔物が棲むと云う・(嘘です)

繰矢川城 (39)遊歩道と東屋の建つ郭3。

宮坂武男氏は乙女川沿いにあることから柏木城の南の守りの城ではないかと推察している。

大井宗家滅亡時に難を逃れて小諸に逃げ伸びて体制を立て直した小諸大井家が、与良城の西の備えとして改修した可能性も捨てきれないが、どうであろうか?

繰矢川城 (41)郭3の南側を蛇行する繰矢川。

≪繰矢川城≫ (くりやがわじょう)

標高:705.0m 比高:15m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市乙女
攻城日:2013年7月14日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:文化センター駐車場
見どころ:郭跡、堀跡
注意事項:特に無し
参考文献:「信州の山城と館➊佐久編 宮坂武男著 2012年」「定本佐久の城 郷土出版社 1997年」
付近の城址:柏木城、与良城、乙女城、糠塚山烽火台(ぬかづかやま)

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Posted on 2013/07/22 Mon. 22:27 [edit]

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